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伊達宗規 (宮床伊達家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊達宗規
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年3月11日1779年4月27日
死没 天保15年7月19日1844年9月1日
改名 大四郎(幼名)、宗規
別名 隼人、鶴翁
戒名 俊良院仙山鶴翁
墓所 宮城県黒川郡大和町の覚照寺
主君 伊達周宗斉宗
陸奥仙台藩
氏族 宮床伊達家
父母 伊達村烈伊達村通
兄弟 村義宗規
石川村文
宗賢
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伊達 宗規(だて むねのり)は、江戸時代後期の陸奥国仙台藩一門第七席・宮床伊達家8代当主。

生涯

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安永8年(1779年)3月11日、7代当主・伊達村烈の次男として宮床館にて誕生。幼名は大四郎

享和元年(1801年)8月28日、兄・村義の死去により家督相続し宮床邑主となる。仙台藩主・伊達周宗から偏諱を賜って宗規と名乗る[1]文化10年(1813年)、宮床の所領において、商売を行う下町がなく、日用品の購買に不自由するとの理由で、荒物小物1戸50集、八百屋1戸、酒1戸の商売の許可を本藩に求め許可される。文政元年(1818年)11月28日、隠居して家督を嫡男・宗賢に譲る。

天保15年(1844年)7月19日、死去。享年66。

系譜

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脚注

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  1. ^ 詳しい時期は定かではないが、子の宗賢が周宗の弟で次の藩主となった斉宗から偏諱を賜っているので、周宗の藩主在任中のことと考えて良いだろう。

参考文献

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  • 『宮城県黒川郡誌』
先代
伊達村義
宮床伊達家
8代: 1801年 - 1818年
次代
伊達宗賢