伊藤龍太郎
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伊藤龍太郎 いとう りゅうたろう | |
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生年月日 | 1911年10月19日 |
出生地 | 三重県 |
出身校 | 京都帝国大学工学部機械学科(現京都大学工学部)卒業 |
前職 | 川西市商工会専務理事 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1966年 - 1990年 |
伊藤 龍太郎(いとう りゅうたろう、1911年〈明治44年〉10月19日[1][2][3] - 没年不明[3])は、昭和から平成時代の政治家。実業家。兵庫県川西市長(6期)。
経歴
[編集]三重県出身[1][2]。1935年(昭和10年)京都帝国大学工学部機械学科卒業[1][2]。大日本紡績に入り、1939年(昭和14年)入隊、1945年(昭和20年)除隊とともに退社[1]。
1951年(昭和26年)日本精密機械工作社長、1960年(昭和35年)川西市商工会専務理事などを経て、1966年(昭和41年)の市長選で当時の小笠原新三郎市長を破って初当選。このとき、選挙ポスターで二連で並べて掲示すると公職選挙法の規定よりも上回るサイズのポスターになるのを使用し、陣営関係者が有罪判決を受けている[4]。以後川西市長に6選[5]、川西市ライオンズクラブ会長を務めた[1]。
1990年(平成2年)に引退後、在任当時の建設汚職が発覚[6]。住友建設から200万円を受け取った収賄容疑で逮捕された[6]。
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信所 1975, い120頁.
- ^ a b c 日外アソシエーツ 1999, 48頁.
- ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 302頁.
- ^ “【選挙ポスター問題】貼る位置が高すぎて訴訟へ、現職が偽造……都知事選だけじゃなかった!選挙ポスターにまつわる今昔物語”. 選挙ドットコム. 2024年8月11日閲覧。
- ^ 日外アソシエーツ 1999, 48-49頁.
- ^ a b c 日外アソシエーツ 1999, 49頁.
- ^ 『官報』号外第47号1頁 平成2年5月1日号
- ^ 『官報』第3234号13-14頁 平成13年11月2日号
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。
- 日外アソシエーツ『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。