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伊太於

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊太於(イタオ、生没年不詳)は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)にある前方後円墳江田船山古墳から出土した銀象嵌銘大刀の作刀者[1]。「伊太加」(イタカ)、「伊太和」(イタワ)とも。

釈読

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江田船山古墳で出土した鉄剣の銘文に、「作刀者名伊太口,書者張安也」とある。西山要一は、「伊太加」としている[2]武光誠盧重国は、「伊太於」としている[3][4]吉村武彦の従来の見解は、「伊太加」、クリーニングやX線透過撮影などの再調査に基づく新釈読は「伊太和」[5]

伊太於(伊太加、伊太和)は鉄刀を作り、張安は銘文を書いた。伊太於(伊太加、伊太和)はその名前からみて倭人である。銘文を書いた張安中国式の名前なので、百済帰化していた中国人とみられる[4][6]

脚注

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  1. ^ 朝日日本歴史人物事典无利弖』 - コトバンク
  2. ^ 西山要一『東アジアの古代象嵌銘文大刀』奈良大学文学部文化財学科〈文化財学報 17集〉、1999年4月、46頁。 
  3. ^ 武光誠 (2003年5月). “大和朝廷と天皇家”. 平凡社. オリジナルの2022年9月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220929183411/https://www.heibonsha.co.jp/book/b163127.html 
  4. ^ a b 盧重国 (2005年). “5世紀の韓日関係史-『宋書』倭国伝の検討-” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 261. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127011246/https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/1-04j.pdf 
  5. ^ 吉村武彦『六世紀における氏・姓制の研究 -氏の成立を中心として-』明治大学人文科学研究所〈明治大学人文科学研究所紀要 39〉、1996年3月31日、326頁。 
  6. ^ 전덕재 (2017年7月). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할” (PDF). 東洋學 第68輯 (檀國大學校 東洋學硏究院): p. 110. オリジナルの2022年4月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220423195439/https://cms.dankook.ac.kr/web/-oriental/-23?p_p_id=Bbs_WAR_bbsportlet&p_p_lifecycle=2&p_p_state=normal&p_p_mode=view&p_p_cacheability=cacheLevelPage&p_p_col_id=column-2&p_p_col_count=1&_Bbs_WAR_bbsportlet_extFileId=99960