伊勢貞国
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華開院所蔵 | |
時代 | 室町時代中期 |
生誕 | 応永5年(1398年) |
死没 | 享徳3年5月27日(1454年6月23日) |
別名 | 貞慶 |
幕府 | 室町幕府政所執事 |
主君 | 足利義教→義勝→義政 |
氏族 | 伊勢氏 |
父母 |
父:伊勢貞行(伊勢貞経とも) 母:信州木曾の娘 |
兄弟 | 貞経、貞国 |
妻 | 蜷川親俊娘 |
子 | 貞親、貞藤、娘(伊勢盛定室)、娘(日野勝光妾[1]) |
伊勢 貞国(いせ さだくに)は、室町時代の室町幕府政所執事。諱は貞慶とも。父は伊勢貞行(兄とされる伊勢貞経とも)[2]、母は信州木曾の娘。兄の貞経の養嗣子となった。子に貞親、貞藤、娘(伊勢盛定室)。外孫に北川殿(今川義忠室)、伊勢宗瑞(北条早雲)。
生涯
[編集]永享3年(1431年)に兄貞経が6代将軍・足利義教によって失脚させられると、後を継いで政所執事となった。
永享6年(1434年)2月9日、義教の嫡男義勝が生まれると、3月3日に義勝を屋敷に移した。
嘉吉元年(1441年)6月24日、嘉吉の変で義教が殺害され、26日に7代将軍となった義勝が室町殿に移されるまで義勝を預かっていた。
また、幼少の義勝に代わり政治を取り仕切る管領細川持之を支持、文安5年(1448年)に細川持常と共に赤松則尚の復帰を8代将軍足利義政に取り次いだりもしている。
享徳3年(1454年)5月27日、死去。