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今帰仁朝幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今帰仁朝幸(なきじん ちょうこう、天啓7年4月8日(1627年5月22日) - 康熙26年3月13日(1687年5月5日))は琉球王国第二尚氏王統の人。尚韶威・今帰仁王子朝典を元祖とする向氏具志川御殿の七世で、唐名は向従憲、童名を思五郎という。最後の北山監守

同家は元祖:尚韶威・今帰仁王子朝典から代々 今帰仁間切の按司地頭職とともに、北山監守を世襲してきた家であるが、朝幸の代(1665年)に首里に住むように命ぜられ、以て北山監守職も廃止された。

朝幸らが首里に移住したあとも、先祖の居城であった今帰仁城は同家の管理するところとなった。のちに城内にはその由来を記した碑・「山北今帰仁城監守来歴碑記」が同家十世の尚宣謨・今帰仁王子朝義によって立てられた。

系譜

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父:向縄祖・今帰仁按司朝経の長男として生まれる(母は松比樽・宇志掛按司)。なお父は自らの従祖母(いとこおば)にあたる人物と婚姻をしているが、年齢差でいえば父のほうが四歳年上である。室に孟氏思武太金をむかえ三男四女をもうけた。

  • 父:向縄祖・今帰仁按司朝経
  • 母:松比樽・宇志掛按司 (向和禮・本部按司朝安の娘)
    • 姉(長女):真鍋樽・宇志掛按司 (昌氏天久親雲上政書に嫁ぐ)
    • 弟(次男):向従宣・与那嶺按司朝隣


  • 室:孟氏思武太金 (孟氏伊野波親雲上宗当の娘)
    • 長女:思玉金 (向氏勝連按司朝旧に嫁ぐ)
    • 長男:向洪徳・今帰仁按司朝又
    • 次男:向洪秀・安里親雲上朝伸
    • 三男:向洪泰・今帰仁里之子親雲上朝弘
    • 次女:真牛金 (東氏知念里之子親雲上政常に嫁ぐ)
    • 三女:真加戸樽 (孟氏佐辺里之子宗政に嫁ぐ)
    • 四女:真呉勢 (向氏比嘉里之子朝定に嫁ぐ)

経歴(月日は旧暦)

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  • 1627年天啓7)4月8日 生まれる。
  • 1643年崇禎16)11月 カタカシラを結う(→今帰仁朝幸)
  • 1645年順治2)1月21日 今帰仁間切与那嶺の名島を賜る(→与那嶺按司朝幸)
  • 1654年(順治11)2月1日 伊野波在番となる。また同日、父:向縄祖・今帰仁按司朝経が致仕し、朝幸が今帰仁間切総地頭となる(→今帰仁按司朝幸)
  • 1665年康熙4)11月3日 命により首里赤平へと住居を移す(北山監守職の廃止)。
  • 1666年(康熙5) 運天在番となる。
  • 1675年(康熙14)8月18日 致仕する。
  • 1687年(康熙26)3月13日 亡くなる(享年61)。