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今園国貞

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今園国貞

今園 国貞(國貞、いまその[1] / いまぞの[2] くにさだ、1882年明治15年)7月20日[1] - 1950年昭和25年)5月2日[1][2])は、日本国文学者政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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華族・今園国映の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1893年(明治26年)5月12日、男爵を襲爵した[5]

学習院高等科を経て[4]1912年7月、東京帝国大学文科大学文学科(国文学)を卒業[2][3][4][6]1928年(昭和3年)歌会始講頌となり、以後、同読士、同奉行、御歌所参候、東京女子大学教授などを務めた[2][3]

1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで4期在任した[2]

親族

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  • 母 - セイ(高瀧小藤治三女)[1][4]
  • 妻 - とき子(岩倉直麿女)[1]
  • 長男 - 国光[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、201頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』64頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』イ236頁。
  4. ^ a b c d 『華族畫報 下』665頁。
  5. ^ 『官報』第2959号、明治26年5月13日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正元年 至大正2年』東京帝国大学、1913年、学士及卒業生姓名199頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  8. ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』社団法人霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
今園国映
男爵
今園家第2代
1893年 - 1947年
次代
華族制度廃止