仁木村
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にきむら 仁木村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大薮町・仁木村・福束村 → 輪之内町 |
現在の自治体 | 輪之内町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 安八郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.89 km2. |
総人口 |
3,435人 (1954年) |
隣接自治体 | 岐阜県安八郡大薮町、福束村、海津郡今尾町、海西村、養老郡池辺村 |
仁木村役場 | |
所在地 | 岐阜県安八郡仁木村梅松新田882-1 |
座標 | 北緯35度16分14秒 東経136度37分52秒 / 北緯35.27069度 東経136.631度座標: 北緯35度16分14秒 東経136度37分52秒 / 北緯35.27069度 東経136.631度 |
ウィキプロジェクト |
仁木村(にきむら)は、かつて岐阜県安八郡に存在した村である。現在の安八郡輪之内町の中央部から南西部に該当する。
村名は、かつてこの地域に存在した荘園、二木荘に由来する。安八郡二ツ木村(後の墨俣町の一部。現・大垣市墨俣町二ツ木)と区別するために、「二」を「仁」に変えて名づけられた。
歴史
[編集]- 江戸時代、この地域は多くの新田が開発され、尾張藩領、天領が混在していた。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 安八郡松内村・下大榑村・大吉新田・下大榑新田・中郷新田・福束新田・海松新田・藻池新田が合併し、仁木村が発足。
- 1929年(昭和4年)1月 - 犀川事件が発生。これに先立ち同月7日に町長が辞職[1]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 安八郡大薮町、福束村と合併し輪之内町が発足。同日仁木村廃止。
学校
[編集]- 仁木村立仁木小学校(現・輪之内町立仁木小学校)
名所など
[編集]脚注
[編集]- ^ 切り落とし工事に反対、七町村長ら辞職『東京日日新聞』昭和4年1月8日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)