仁宇布駅
仁宇布駅 | |
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仁宇布駅跡(2004年撮影) | |
にうぷ Niupu | |
◄辺渓 (14.9 km) | |
所在地 | 北海道中川郡美深町字仁宇布 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 美幸線 |
キロ程 | 21.2 km(美深起点) |
電報略号 | ウフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
20人/日 -1981年(昭和56年)- |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月5日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)9月17日[1] |
備考 | 美幸線廃線に伴い廃駅 |
仁宇布駅(にうぷえき)は、北海道中川郡美深町字仁宇布にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122706[2]。
歴史
[編集]1964年(昭和39年)に美幸線の当面の終着駅として開業し、その後も当駅から興浜北線北見枝幸駅までの建設工事が進められ、路盤やトンネル、橋梁が全て完成したものの、1980年(昭和55年)に国鉄再建法の施行に伴い、工事は凍結されて未成に終わるとともに、開業区間も廃線となった。
また、貨物取り扱い駅だったが、1979年度(昭和54年度)以降は取り扱い実績がほとんどなく、1984年(昭和59年)2月1日で貨物取り扱いは廃止された[3]。
- 1964年(昭和39年)10月5日 - 日本国有鉄道美幸線美深駅 - 当駅間開通に伴い開業[1][4]。一般駅。
- 1966年(昭和41年)12月21日 - 駅舎全焼。
- 1967年(昭和42年)11月6日 - 新駅舎落成[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止[1][3]。
- 1985年(昭和60年)9月17日 - 美幸線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
[編集]地名より[4]。アイヌ語の「ニウプ(niupu)」に由来するが、諸説あり、更科源蔵は「森林がある川」の意である、としている[6]。国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』には「『ペンケニウプ』(小川の上流の森)[4]」から、とされている。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(仁宇布方面に向かって左手側)に存在した。列車の発着に使用する駅舎側の1番線だけではなく、駅舎と反対側の乗り場(2番線)の線路も敷設され側線扱いとなっていた[7]。2線はホームの先で収束し、路線延長時には列車交換が可能な構造となっていた。ほかに2番線の外側に貨物用の側線(3番線)を1本有した[8]。
職員配置駅となっており、木造プレハブ造りの駅舎が存在した。駅舎は構内の南東側に位置し、ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[7]。1981年(昭和56年)時点で職員は合計6人が配置されていた[7]。
また、1980年(昭和55年)時点では、駅裏に日本鉄道建設公団の線路敷設基地が置かれており[9]、構内にはレールや枕木が積まれていた[7]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 38 | [10] | ||
1981年(昭和56年) | (10.0) | [7] | 1日乗降客数20人 |
駅周辺
[編集]- 仁宇布簡易郵便局
- 松山湿原 - 駅から南に約5km[7]。
- トロッコ王国美深
- スバル耐寒テストコース 日本最北の自動車テストコース
- 付近の農場は村上春樹の羊をめぐる冒険のモデルのひとつではないかといわれている[1][2]。
- 名士バス「仁宇布待合室」停留所
- 美深町立仁宇布小中学校
駅跡
[編集]駅舎は廃止直後の1985年(昭和60年)12月19日から21日にかけて解体された[11]。駅跡は1998年(平成10年)より美深町のNPO法人トロッコ王国美深の施設として使われている。2000年(平成12年)時点で駅舎は既に撤去されているが[12]、2010年(平成22年)時点でホームや線路は残存している。駅舎跡にログハウス風の事務所が置かれ、当駅跡から辺渓駅方、高広の滝附近へ約5kmの線路が再利用され、エンジン付き保線用軌道自転車の運転体験ができる[13]。
施設内には国鉄583系電車の中間車両サハネ581-19が置かれている。外観は塗装の剥離や錆が目立つものの、内部は保存状態良好である(車内公開はされていない)。また、廃駅となった智東駅の貨車駅舎(ヨ3500形車掌車を改造)が2006年(平成18年)7月3日に移動されて設置されている[14]。沿線に残存している保線小屋が資材置き場に転用されている[15]。
また、旧駅前広場部分には蒸気機関車の車輪[15]のモニュメント付きの石碑、「美幸線記念碑」が建立されている[12]。2000年(平成12年)時点では北見枝幸方へも、北へ0.1kmほどの線路が残存していたが[12]、2010年(平成22年)時点では駅跡の北側までで終わっていた。路盤は2010年時点でもさらに北に続いている[13]。
隣の駅
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、904頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ a b 「来月からの国鉄貨物廃止 9線区を認定 本道11線区に」『北海道新聞』1984年1月20日、朝刊。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、184頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編「昭和戦後時代」『旭川・鉄道八十八年の歩み』旭川鉄道管理局、1987年3月、100頁。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 69. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)192ページより。
- ^ 書籍『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』(著:三宅俊彦、JTBパブリッシング、2010年4月発行)36ページより。
- ^ 書籍『終着駅 国鉄全132』(雄鶏社、1980年10月発行)28ページより。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、892頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 「美幸線廃止から3カ月 主役の代替バスは… 仁宇布駅舎も撤去」『名寄新聞』1985年12月24日。
- ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)27-29ページより。
- ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)29-30ページより。
- ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)29-30ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)258ページより。
- ^ 『北海道の鉄道廃線跡』373ページより。
外部リンク
[編集]- トロッコ王国美深 – トロッコ王国の公式ホームページ - 公式ページ。