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グロット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
人工洞窟から転送)
永遠の炎の滝。滝の奥に洞窟があり、天然ガスを灯した炎が名物(ニューヨーク州
ガルシア洞窟メキシコヌエボ・レオン州

グロット: Grotto)とは、近代・古代を問わず、また先史時代から歴史時代に人類が利用した天然または人工の洞窟である。

自然界に存在するグロットは水辺の小さな洞窟であり、普段から水についているか、満潮の時に浸水することが多い。人工の石窟を庭園の要素英語版として用いることもある。天然の洞窟で人気を集めた例に、カプリ島青の洞窟(グロッタ・アズーラ)やローマ帝国のティベリウス皇帝のヴィラ・ジョヴィス英語版ナポリ湾)のグロットがある。

水辺に接するものも、丘陵の高台にあるものも、グロットは一般にその地質石灰岩でできており、もともとは小さな亀裂が常に水に触れたり水が溜まるうちに、岩石基質中の酸性の炭酸塩に洗われ、溶けて形成された[要出典]

語源

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グロットという単語の源は伊: grotta であり、さらに遡ると俗ラテン語grupta古典ラテン語crypta すなわち英: crypt地下聖堂)に由来する[1][2]

また歴史の偶然により「グロテスク」(grotesque)という言葉にも通じている[2]。ローマ人は15世紀後半、パラティーノラテン語: Palatinusイタリア語: Palatino)(英語版で偶然、第5代皇帝ネロの宮殿ドムス・アウレア を掘り当てた。建築当初のきゃしゃな構造の石材に花輪や動植物のデザインを彫りつけた部屋をいくつも備え、時間の流れとともに地中に埋もれていたものである。ローマ人はまるで「地下世界」から湧いて出たような建造物を気味悪がり、これらを「グロテスカ」(伊: grottesca )と呼び始める。やがてフランス語圏が取り入れて「グロテスク」(grotesque )という美術様式に転じた。

古代

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ターク・イ・ブスタンササン朝時代のグロット。アーチ型天井の石窟が2基、隣り合う(イラン

グロットはギリシャ文化ならびにローマ文化で広まった。アポロの神託を示すという湧水をたたえるグロットは、デルポイコリントスクラロスに築かれた[注釈 1]ロドス島にあるヘレニズムの都市は岩を削って自然に見えるようにデザインした人工の洞窟を取り込んだ[4]。ローマの南方にある偉大な聖域プラエネステでは、2番目に低い段丘に原始聖域の最も古い部分が位置しており、自然の岩の洞窟に湧く泉を井戸に導いた。その神聖な泉にニュンペーが住み着くと伝承され、やがて水をたたえた洞窟などニンファエウムを捧げて讃えた[5]

ティチーノ州の洞穴倉庫

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チェヴィオのグロット。食品倉庫とワインセラーを兼ねている。

スイスのイタリア語圏にあたるティチーノ州では、天然の洞穴を利用してワインや食料を保存してきた。岩や岩石のくぼみや張り出しなどを使って天然の冷蔵庫として使い、牛乳チーズジャガイモソーセージ類、ワインなど食品ごとに適した温度の小部屋を使い分けている[6][7]

これらのワインセラーがどれだけ重宝されているか、その数を見ても明らかである。たとえばマッジャ(Maggia)に40軒、モゲニョもほぼ同数、カーゼ・フランツォーニ(Case Franzoni)の裏手のチェヴィオ(Cevio)でも約70軒が現役で使われている。アヴェーニョ(スイスAvegno)のように一般公開する場所もあるが、ほとんどは素朴なレストランに改装され、地産の食べ物や飲み物を提供するなど、本来の特徴を失いつつある。手掘りのグロットは岩の下や2つの巨石の間を選んであり、地下の空気の流れを確保して区画ごとに涼しく保っている。2階も設けたグロットもあり、部屋割りは1もしくは2室で、発酵用の樽とワインを長期保存する道具を保管する。グロットの外には石材を組んだテーブルとベンチを置き、農作業の間に休憩したり気分転換に使ってきた[8]:18

庭園のグロット

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グロットの入り口。トッリジャーニ家の別荘農場イタリア語版(イタリアのフィレンツェ県旧バルベリーノ・ヴァル・デルサ、現バルベリーノ・タヴァルネッレ

人工洞窟が人気を呼んだ16世紀半ば、イタリアとフランスの庭園にマニエリスム様式が導入された。ピッティ宮殿に付帯するボーボリ庭園に伝わる著名な洞窟2つはヴァザーリVasari)が着工し(1583年)、工期はアンマナーティ英語版の手を経てブオンタレンティBuontalentiが1593年に完成させた。その1つはにミケランジェロの作品『囚人』(Prisoners )が本来、飾られた場所である。

ニコロ・トリボロ英語版はボーボリ洞窟の前に、フィレンツェ近郊のメディチ家のカステッロ邸に庭園を造った。プラトリーノ邸英語版にはキューピッドのグロットを築き(現存)、乾燥地に流水の仕掛けを施して賓客をもてなした[9]。そのフィレンツェから訪れるなら、グラッシーナに「ファタ・モルガーナの泉」en:Fonte di Fata Morgana英語版を構えるベルナルド・ヴェッキエッティの別邸がある。邸の名前は〔休息地〕を意味する「リポーゾ」といい、小さなグロットは広大な敷地と比べても庭園の立派なアクセントとなり、ジャンボローニャ風の彫刻で飾ってある(1573年–1574年)。

洞窟に溶け込む彫刻。トッリジャーニ家英語版(ルッカ)

庭園のグロットは外周を巨大な岩または岩の張り出し、あるいは田園地帯風のポーチに似せて設計した例がよく見られる。内部は礼拝所または噴水を作ったり、素材も鍾乳石や模造の宝石あるいは貝殻に似せた陶器を用いるなどした。神話に取材して、その空間の主題にふさわしいヘルメスや人魚をかたどった。グロットの内部は湿度が高く、イタリアの照りつける太陽から逃れて涼を味わう場所にもなった。そこで、ギリシア神話に登場する泉や川のニュンペーにちなみ、壷から水を流して水盤で受けるなどの工夫をした。やがて冷たい霧雨が名物のイル・ド・フランスでも流行し、ロシア帝国のシェレメーテフ伯爵は1755年から1761年にかけて、壮麗なグロットをクスコヴォ宮殿英語版の敷地に築かせた。

一方に礼拝所として機能したグロットがあり、他方にはマントヴァのテ離宮英語版の「カシーノ・デラ・グロッタ」と呼ばれる施設のように、浴場に利用した例も出現した。グロットへと導く屋根付きバルコニーを取り巻いて、居心地の良い小部屋を配してあり、かつての宮廷人はグロットを訪れて小さな滝で水浴びをして、小石や貝殻で彩られた床や壁に水しぶきをかけた。カプラローラの小さな劇場はヴィラ・ファルネーゼ英語版と呼ばれ洞窟風のデザインである。ルネッサンス式庭園にグロットを設ける場合、滝のように水が流れる噴水と組み合わせることが多かった。

ベルナール・パリッシーカトリーヌ・ド・メディシスに依頼され、チュイルリー宮殿パリ)に著名なグロットを造り、ヴェルサイユ宮殿にもアンドレ・ル・ノートル設計の庭園グロットがある。イギリスに登場するのは1630年代であり、ウィルトシャー州ソールズベリー近郊に立つウィルトン・ハウスのグロットはおそらくアイザック・ド・コー英語版が手がけたと考えられる(所在地はイングランド地方ウィルトン)。

グロットは、前述のような格式ばった庭園以外にも持ち込まれた。イギリス初の風景式庭園トゥイッケナム)にアレキサンダー・ポープが築いたポープのグロット英語版があり、この時期のグロットとして現存するほぼ唯一の例で[10][11]、イタリア訪問中にグロットを見学して受けた感銘を形にしたという。このグロットは、修復の取り組みが進んでいる[12]。ペインズヒル公園英語版の庭園にもグロットがあり[13]、その他、ストウ庭園英語版、クランドン荘園英語版、ストウヘッド英語版にも類例があった[14][15][16]

スコットのグロット英語版とは一連の洞がつながった構造で、ハートフォードシャー州の白亜の丘陵地帯に幅20メートルを占め、ウェア英語版の郊外にある。このグロットの洞と地下通路は18世紀後半に設けられ、貝殻や燧石(ひうちいし flints)、色ガラスの破片を敷き詰めてある[17]。ロマン派世代の旅行者はフェリックス・メンデルスゾーン演奏会用序曲ドイツ語: Die Hebriden)の由来を求めて、わざわざスコットランド地方のフィンガルの洞窟まで足を運ばないとしても、その所在地のスタファ島という孤島まで旅をしたメンデルスゾーンのエピソードは聞かされている。19世紀、マッターホルンのミニチュアやロックガーデンが流行すると、例えばアスコットハウス英語版など洞窟を目にする機会も増えた。バイエルンルートヴィヒ2世が構えたリンダーホーフ城はヴィーナスのグロットを備え、歌劇「タンホイザー」(ワーグナー作)の序幕部分を象徴する。

イギリスでピクチャレスクen:Picturesque運動が起こるとグロットは流行から大きく外れたものの、建築家や芸術家は再定義を試みる。フレデリック・キースラー設計の「Grotto of Meditation for New Harmony」(1964年)[18]から、アントニーノ・カルディーロの「Grottoes」シリーズ(2013-2023年)[19]まで、以下もその時代ごとのデザイン作品に取り入れていた。

  • ARM'st のポストモダン作品「Storey Hall」(1995年)
  • アランダ/ラッシュ(Aranda/Lasch)の「Grotto Concept」(2005年)
  • Deborah Saunt David Hills Architects(DSDHA)の手がけた「Potters Field Park Pavilions」(2008年)[20]
  • カラム・モートンの「グロット」館(2010年)

宗教にかかわるグロット

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マリアン・グロットと蓮池
マリアのグロットと池(インドネシアジャカルタ
礼拝所に転用された部分(マリアのグロット内部)

世界最大のグロットはアメリカ合衆国アイオワ州ウエスト・ベンド英語版にあり、贖罪の洞窟英語版と呼ばれる。この例のように、今日では装飾や信仰を目的として人工の洞窟を売買したり造らせたりする。屋外の庭園に据えた洞窟は聖人、特にマリア像を置き、礼拝所に用いる例が多い。

ベルナデッタ・スビルールルドの聖母の幻影を見たと伝わる洞窟には、カトリック教徒が多く訪れる。庭園の洞窟で、この幻影の逸話を見本に築かれたものは多く、キリスト教の教会の敷地ばかりか公私の庭園などで見かける。

ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ この資料[3]では自然と建築に関する古代ギリシャの著名な例を数多く紹介し、遺跡ごとに詳述している。

出典

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  1. ^ オックスフォード英語辞典』よりs.v. "grotto"(その意味で「グロット」)。
  2. ^ a b grotesque 意味と語源”. 語源英和辞典. 2024年8月17日閲覧。 “俗ラテン語「grupta, crupta」(地下室、大きな地下蔵、大洞窟)。ラテン語「crypta」(穴蔵、トンネル、儀式のための地下室)。”
  3. ^ Elderkin 1941, pp. 125–137
  4. ^ Rice 1995, pp. 383–404
  5. ^ Aken, van 1951, pp. 272–284
  6. ^ Switzerland's ingenious cooling caves” (英語). BBC Travel (2022年3月30日). 2022年6月7日閲覧。
  7. ^ Grotto culture in Italian Switzerland” (イタリア語). Living Traditions of Switzerland. Swiss Confederation (2018年). 2022年6月7日閲覧。
  8. ^ “Im Vorgarten zum Paradies”. Schweiz. Vallemaggia 2 (1). (1999). doi:10.33926/gp.2019.1.5. ISSN 1421-8909. 
  9. ^ CITEREFSmith1961
  10. ^ Bracher 1949, pp. 141–162
  11. ^ Willson 1998, pp. 31–59
  12. ^ Lambert 2015, The Telegraph
  13. ^ Hodges 1975, pp. 23–28
  14. ^ Turner 1979, pp. 68–77
  15. ^ Kelsall 1983, pp. 133–143
  16. ^ Woodbridge 1965, pp. 83–116
  17. ^ What is Scott's Grotto” (2005年5月13日). 2005年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年10月18日閲覧。
  18. ^ Alderslade, Jessica (2014年). “An Introduction to the Grotto and Its Place within Contemporary Design” (英語). Reinterpreting the Grotto in Contemporary Design (Australia) 
  19. ^ Cardillo, Antonino (2023年10月12日). “Grottoes” (英語). www.antoninocardillo.com. 2024年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年6月8日閲覧。
  20. ^ 『Art Monthly』 2008, pp. 15

参考文献

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本文の典拠、主な執筆者、編者の順。

  • A.R.A (1951). “Some Aspects of Nymphaea in Pompeii, Herculaneum and Ostia” (英語). Mnemosyne. 4 4 (3/4): 272–284. 
  • “ArtNotes”. Art Monthly: pp. 15. (2008年4月) 
  • Bracher, Frederick (1949-02). “Pope's Grotto: The Maze of Fancy Pope's Grotto: The Maze of Fancy”. The Huntington Library Quarterly 12 (2): 141-162. 
  • Elderkin, G. W. “The Natural and the Artificial Grotto” (英語). Hesperia 10 (2 (1941年4月–6月)): 125–137. 
  • Hodges, Alison (1975). “Painshill, Cobham, Surrey: The Grotto”. Garden History 3 (2 (Spring 1975)): 23-28. 
  • Kelsall, Malcolm (1983). “The Iconography of Stourhead”. Journal of the Warburg and Courtauld Institutes 46 (1983): 133-143. 
  • Lambert, Victoria (2015年9月15日). “Inside Alexander Pope's hidden grotto”. The Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/culture/museums/11866157/Inside-Alexander-Popes-hidden-grotto.html 
  • Rice, E. E (1995). “Grottoes on the Acropolis of Hellenistic Rhodes” (英語). The Annual of the British School at Athens 90: 383-404. 
  • Smith, Webster (1961-12). “Pratolino”. The Journal of the Society of Architectural Historians 20 (4): 155-168. 
  • Turner, James (1979-03). “The Structure of Henry Hoare's Stourhead”. The Art Bulletin 61 (1): 68-77. 
  • Willson, Anthony Beckles (1998). “Alexander Pope's Grotto in Twickenham”. Garden History 26 (1 (Summer, 1998)): 31–59. 
  • Woodbridge, Kenneth (1965-03). “Henry Hoare's Paradise”. The Art Bulletin 47 (1): 83-116. 

関連資料

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脚注に未使用の資料。

  • Jackson, Hazelle (2001) (英語). Shell Houses and Grottoes. England: Shire Books  : ルネサンス期のイタリアにおけるグロットの発展と、イギリスで18世紀以降現代まで普及した様子を辿る。イギリスにあるグロットの「地名辞典」を掲載。
  • Jones, B (1953) (英語). Follies and Grottoes. London  フォリーとグロットの実例。
  • Miller, Naomi (1982) (英語). Heavenly Caves: Reflections on the Garden Grotto. New York: Braziller. https://archive.org/details/heavenlycavesref0000mill  : 古代から現代まで、庭園のグロットの発展を追う。

関連項目

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50音順。

海外

外部リンク

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