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京大三高俳句会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京大三高俳句会(きょうだいさんこうはいくかい)は、京都大学関係者が中心となって設立された俳句会。旧制第三高等学校日野草城五十嵐播水らによって1919年7月に作られた「神陵俳句会」を前身として、1920年3月に創設。京大学生集会所で行われた発会式には高浜虚子も招かれた。運営は草城と鈴鹿野風呂が中心で、同年10月には山口誓子が参加、11月より『京鹿子』が実質的な機関誌として創刊された。

俳句会は1922年11月に一度解散されたが、1925年5月に井上白文地らによって復活された。1932年、『京鹿子』が野風呂の主宰誌となり、翌年に新たに機関誌『京大俳句』が創刊された。

『京大俳句』

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1933年1月、平畑静塔井上白文地藤後左右長谷川素逝らによって創刊。編集発行人は静塔。顧問として鈴鹿野風呂日野草城水原秋桜子山口誓子五十嵐播水が名を連ね、賛助員37名、研究会員14名で構成。1935年から学外に門戸を開き、西東三鬼高屋窓秋石橋辰之助渡辺白泉三橋敏雄らが参加。自由主義の主張のもと実作・理論の両面の向上を唱え、新興俳句運動の中心誌として無季俳句や戦争俳句が多く載った。しかし反戦的な内容から、1940年2月から8月にかけて静塔、白文地、白泉、辰之助、三鬼ら編集関与者14名が治安維持法違反として次々特高警察によって検挙される(新興俳句弾圧事件)。これによって同年2月、『京大俳句』は終刊を余儀なくされ、新興俳句運動は急速に終焉に向かった。

戦後も断続的に復活しており、1970年代から80年代にかけては江里昭彦上野ちづこらニューウェイブの俳人の拠点となったが、1983年に終刊した。

2009年に教職員を中心とした立ち上げメンバーにより復刊が図られ[1]、現在に至っている。

参考文献

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  • 川名大 「京大三高俳句会」「京大俳句」「京大俳句弾圧事件」 『現代俳句大事典』普及版、三省堂、2008年、188-190頁
  • 阿部誠文 「京大俳句」 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年、135頁

関連文献

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  • 栗林浩 『京大俳句会と東大俳句会』 角川書店、2011年
  • 田島和生 『新興俳人の群像―「京大俳句」の光と影』 思文閣出版、2005年

関連項目

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脚注

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外部リンク

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