ノート:京大三高俳句会
はじめまして。haikunoと申します。さて、このページ、どのような意図でお立ち上げになったのかが、よく分かりません。『京大俳句』についても記述が単純すぎるのではないでしょうか。
ただ、私は『京大俳句』を語れるほどには勉強はしておりませんので、ここでは、「京大三高俳句会」についての五行のことを、お尋ねいたします。
◯京都大学関係者が中心となって設立された俳句会
と記しておられますが、関係者とは、あまりにも漠然としていませんか。次に
◯旧制第三高等学校で日野草城、五十嵐播水らによって1919年7月に作られた「神陵俳句会」を前身として
とございますが、三高は京大の付属校ではありません[1]ので、この段階て草城さんは京大関係者ではありません(心象的にはそうであっても、事実とは異なります、山口誓子さんのように、三高から東京帝大に進学なさる方もおられましたし)。
また、五十嵐播水さんはご自身の書いておられるもの[2]によりますと、1920年2月の句会に始めて参加なさっているようですが、1919年7月の会に関わられていたのでしょうか。
すくなくとも、岩田紫雲郎さんが記された「京大神陵俳句会」[3]の報告に播水さんはおられません。
◯1919年7月に作られた「神陵俳句会」を前身として
の部分ですが、「『神陵俳句会』を前身として」は、草城さん自身がそう書いておられまして、流布してきたことなのですが、どうもあやしいと私は考えています。
五十嵐播水さん[4]や、草城さん自身が大正時代に雑誌に書いておられること[5]を照らし合わせると、ということですが、まぁ、これは流布していることですからいいとしましても、
特に、1919年7月という年月の出典は何でしょうか。
私は9月だったのではないか、と考えております。第一回の句会とおぼしき句会の作品に使われている季語が「秋」「菊」「蜻蛉」など秋であり、当時9月入学の三高に入学直後の其十さんが参加しているからです。また、『日野草城句集』室生幸太郎編「年譜」(2001、角川書店)にも、9月とあります。「7月」の根拠を教えて下さい。
◯1920年3月に創設。京大学生集会所で行われた発会式には高浜虚子も招かれた。運営は草城と鈴鹿野風呂が中心
も出典をお示し頂ければと思います。虛子さんが1920年の「虛子先生歓迎京大三高俳句会」に出席なさったのは、「ホトトギス」京都俳句大会(2月22日)の翌日、2月23日です。[6]3月に京都に赴いたという記録があるのでしょうか。
また、この会、2月の会だとすると、「発会式」とは名乗っていませんし、「虚子先生歓迎句会」に鈴鹿野風呂さんは関係なさっていません。記録によると、野風呂さんが鹿児島から京都に戻られ、草城さんに会われるのは、この年の9月です[7]。
最後に、
◯1925年5月に井上白文地らによって復活
とあります。私はこのあたりから、あまり詳しくないのですが、ただ一点、復活と書いておられるかぎり、「京大三高俳句会」が復活したと考えてよろしいのでしょうか。私の知る限り、
●1922年11月に京大三高俳句会は、京鹿子俳句会へと発展解消し、翌1923年三高の名を外し「京大俳句会として復活」
となります。
すなわち、「京大三高俳句会」というページでありながら、内実が分りづらく、脚注もないので検証もしづらく、少なくとも、私の調べとはほほ全般的にずれているなと、感じました。 なんだか、「京大俳句」を呼び寄せるためのページなのかなとも思え、残念です。 そういえば、「京大俳句(雑誌)」というページがないのですね。研究家が多くおられるはずなのに、残念ですね。 妄言多謝。一読者より、改稿というより、お示しになった事実の出典を知りたいなという、おねがいです。私の勉強の参考にいたしたく、宜しくお願いします。 --Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 06:31 (UTC)haikuno--Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 06:31 (UTC)--Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 07:16 (UTC)--Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 07:40 (UTC)--Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 07:43 (UTC)--Haikuno(会話) 2021年4月18日 (日) 16:02 (UTC)