交響曲第0番 (ブルックナー)
音楽・音声外部リンク | |
---|---|
全曲を試聴する | |
Bruckner:»Nullte« Sinfonie - パーヴォ・ヤルヴィ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。 |
交響曲 ニ短調は、アントン・ブルックナーが作曲した交響曲の一つである。第0番という通称で呼ばれることがあるが、ブルックナーにとって3つ目の交響曲であり、第1番よりも後に書かれている。
曲の名称
[編集]ブルックナーはこの交響曲に通し番号を付けなかったとされており、それに従えば「交響曲 ニ短調」と呼ぶのが正式である。しかしブルックナーは以降も第3番、第9番と2つのニ短調交響曲を作曲しているため、区別のために通称の「第0番」やWAB (Werkverzeichnis Anton Bruckner) 番号の「WAB.100」を付けることが一般的となっている。通称の「第0番」は作曲者が晩年にこの曲の総譜に記した""の文字やその他の書き込みに由来し、ドイツ語では「ヌルテ(NULLTE)」と呼ぶ。英語でも「No.0」とすることが一般的であり、国際ブルックナー協会版スコアの英文序文でも「No.0」の記載は使われている。ただし現在国際ブルックナー協会から出版されているスコアには、「交響曲 ニ短調 NULLTE」と表紙に記されている。
ヨーゼフ・ヴェスによって初めてこの曲が世に紹介された時には「遺作の交響曲ニ短調」と呼ばれることもあった。現在ではこの名称はほとんど使われていない。
作曲の経緯
[編集]1869年に着手され、その年に完成されたと思われる。これは交響曲第1番よりもあとである。当初「交響曲第2番」にする予定でもあったと言われる。
ただし、1863年から1865年ごろ(つまり交響曲第1番を書く以前)にこの曲の作曲が着手されていたとの説もある。この説は現在では否定的に受け止められることが多い(詳しくは後述)。
曲の完成後、ブルックナーはこの曲の初演をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者だったフェリックス・オットー・デッソフに打診するが、「第1主題はどこ?」と訊ねられたことで出来栄えに自信をなくし、この曲を引っ込めてしまった。
その後、特にブルックナー自身による改訂は行われなかったと思われる。ブルックナーは最晩年、若き日に作曲した譜面を整理し、残すに値しないと考えた作品を破棄したが、この交響曲は「」「全く通用しない(ganz nichtig)」「たんなる試作(Nur ein Versuch)」「無効(ungiltig)」「取り消し(annulirt)」などと記して否定的に考えつつも残し、破棄は免れた(自筆譜、筆写譜、パート譜など、それぞれに様々な書き方で記入した)。
作曲者の、これら書き込みに込めた意図
[編集]特にブルックナーが記した「」に込めた意図については、やや意見を分かつものがある。つまり、数字のゼロと理解してよいのか、数字であっても通し番号として「第1番の前」の意味で解釈してよいか、である。
これは、この曲の作曲時期にも関わっている。古い学説では、この曲は1863年から1865年ごろに着手されていたとの考え方が有力であった。つまり交響曲第1番以前である。そのため、通し番号として「第1番の前」の意味を含めて「第0番」と称したと考えられていた。
最近では、この曲は1869年着手との説が濃厚である。特に自筆譜の一部には「交響曲第2番 ニ短調」と記されてそれが消された形跡もある。そのため「取り消し」「無効」の意味を含めて「」と記したとの考え方が広まっている。
作曲時期
[編集]現存する自筆スコアには、作曲者によって1869年の日付が記されている。最終的にこの年に完成されたことには、議論の余地は少ない。
その一方、残されたいくつかの書簡から、交響曲第1番以前に交響曲が作曲されたことが示唆されている。それが、このニ短調の交響曲の着手、あるいは初稿に相当するとの考え方がある。以前はこの考え方が有力であった。ここには、1863年に作曲された交響曲ヘ短調を、完成された作品に含めない見解が反映している。
ノヴァーク版を校訂したノヴァーク自身も、交響曲ヘ短調を「作曲者にとってこの作品は、単に作曲の実習であり、完成された作品ではないと考えていた」と解釈し、この第0番は1863年から1865年ごろに作曲されたものと考えた(1869年のものは改訂稿とみなした)。実際、ノヴァーク版スコアの序文も、この見解にしたがって解説されている(交響曲ヘ短調の見解についても)。
しかし最近になって、上記に否定的な見解が複数の研究者から提唱された。つまり、交響曲第1番のあとに第2交響曲を意図して作曲され、完成したものの最終的に取り消されたというものである。現在ではこちらの説のほうが有力である。たとえばウィリアム・キャラガンはこの説を支持している。
初演
[編集]初演は1924年5月17日に行われた。5月にまず後半2楽章のみ、10月12日に全楽章が演奏された。共にフランツ・モイスルの指揮による。なお、日本初演は1978年6月5日、大阪フェスティバルホールにおいて朝比奈隆の指揮で大阪フィルハーモニー交響楽団により行われた(録音はビクター音楽産業、現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントより発売もされた)。
楽器編成
[編集]フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット各2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽5部。
演奏時間
[編集]約46分(すべての繰り返しを含む)。
楽曲解説
[編集]音楽・音声外部リンク | |
---|---|
楽章毎に試聴する | |
第1楽章・第2楽章・ | |
第3楽章・第4楽章 Hortense von Gelmini指揮ニュルンベルク交響楽団による演奏。Stiftung LIBERTAS per VERITATEM(財団組織)公式YouTube。 |
作品の性格として、ベートーヴェンの交響曲第9番との相似性が指摘されることがある。各楽章の調性のほか、第1楽章主題が細かい音符で5度・4度の音程を跳躍させているのも相似点の一つである。もっとも、このような第1楽章の主題の性格は、前記の通りデッソフの疑問につながることとなった。
このほか部分的にブルックナーが1854年に作曲した「ミサ・ソレムニス」、1861年に作曲した「アヴェ・マリア」の主題との類似が指摘されることがある。
第1楽章
[編集]Allegro(アレグロ)
ニ短調、4分の4拍子。ソナタ形式。弦による第1主題はアルペッジョ風のトレモロ音形である。
牧歌的で美しい第2主題は属調の同主調であるイ長調で提示される。
楽章全体は後のブルックナー作品と変わらぬほどの特質を備えている。
第2楽章
[編集](Andante)(アンダンテ、ノヴァーク版では括弧がつく)
変ロ長調、4分の4拍子。ソナタ形式。ベートーヴェンの交響曲第9番の緩徐楽章を思わせる第1主題と
ヘ長調による清楚な第2主題から、
素朴な展開部へと進む。
第3楽章
[編集]Scherzo. Presto - Trio. Langsamer und ruhiger(スケルツォ。プレスト ― トリオ、緩やかに、かつ穏やかに)
ニ短調(主部がト短調とされている資料があるが、実際はニ短調である)、4分の3拍子。三部形式。荒々しく野性的な主部。
ブルックナー休止につづいてト長調で短いが平穏なトリオが現れる。
主部が反復され力強く締めくくられる。
第4楽章
[編集]Finale. Moderato - Allegro vivace(終曲。モデラート ― アレグロ・ヴィヴァーチェ)
ニ短調~ニ長調、8分の12拍子(序奏部) - 4分の4拍子(主部)。序奏つきソナタ形式。ゆっくりとした内省的な序奏から始まる。
2小節のアッチェレランドののちアレグロ・ヴィヴァーチェとなり金管で攻撃的な第1主題が提示される。
第2主題はハ長調でヴァイオリンで示される3連符の連続による軽快な主題。
展開部と再現部を合体して構成するのは第9交響曲や第3交響曲第3稿でもなされている。 コーダの直前でLangsamer(よりゆっくりと)となりフルートのソロが第1主題を奏でた後、Schnell(速く)のトゥッティのコーダによりニ長調で全曲を終える。
楽譜・音源
[編集]出版譜は2種類ある。ひとつは1924年に出版されたヴェス(Wöss)版(いわゆる「初版」)、ひとつは1968年に出版されたノヴァーク版(第2次全集)である。なお、ハース校訂による第1次全集は、この曲の校訂・出版に至らなかった。
最初の商業録音は、1933年にベルリン国立歌劇場管弦楽団によって行われたが、ヴェス版によるスケルツォ楽章のみの演奏だった。最初の全曲録音はオランダ・フィルハーモニー管弦楽団によって1951年に行われた。
ブルックナーの交響曲「全曲」の演奏や録音では、この《第0番》を必ずしも含むとは限らず、むしろ含まない例の方が多い。世界で初めてブルックナーの交響曲全集を制作したフォルクマール・アンドレーエは第1番から第9番までの9曲を以って全集としている。その後もオイゲン・ヨッフム、ギュンター・ヴァント、ヘルベルト・フォン・カラヤンなど、全集を9曲で制作する指揮者が多かった。第0番を含めて全集としたのはベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が初めて(1963〜1971年、第0番は1966年録音)である。また、第0番を含んだ上に、さらに交響曲ヘ短調(「第00番」)まで加えた全集はゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団が初めて(1983〜1986年、第0番・ヘ短調は1983年録音)である。これ以後は、第0番やヘ短調も全集に収録されることが増えてきている。逆にフェルディナント・ライトナーなど、全集を制作しなかったものの第0番の録音を行なった指揮者もいる。
多くの録音はノヴァーク版によるが、フェルディナント・ライトナーのライヴ録音とヘンク・スプルイト、ベルナルト・ハイティンクのスタジオ録音は、ヴェス版を用いている。
なおノヴァーク版のスコアには、当初誤植が含まれていた(スケルツォ冒頭5小節目に来るべき金管の音符が、誤って次の小節に印刷されていた。この誤植は1994年に修正された)。ノヴァーク版に準拠した録音の一部は、この誤植に忠実に演奏したものも含まれる。
その他
[編集]アルフレート・シュニトケの最初の交響曲も「第0番」の番号を与えられている。こちらはブルックナーとはやや意図が異なっているようであり、最初から「0番」という番号を与えられている。
参考文献
[編集]- 作曲家別名曲解説ライブラリー 5 ブルックナー (音楽之友社、1993年) ISBN 4276010454
- ブルックナー協会版スコア「交響曲ニ短調 NULLTE」(第2次全集版、1968年出版)およびその序文(ドイツ語原文Leopold Nowak、英語訳Richard Rickett。日本語訳なし。)
- ブルックナー協会版スコア「交響曲ヘ短調 1863年稿」(第2次全集版、1973年出版)の序文(ドイツ語原文Leopold Nowak、英語訳Richard Rickett。日本語訳なし。)
- CD「ブルックナー 交響曲第2番 キャラガン版1872年稿/1873年稿」(アイヒホルン指揮リンツブルックナー管弦楽団、カメラータ・トウキョウ 30CM-195~6、1991年録音、1992年発売)の解説文の訳注(土田英三郎)
- 音楽の壺(川崎高伸さんのホームページ)http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/zatudan.htm
- CD「ブルックナー 交響曲第0番」(朝比奈隆指揮東京都交響楽団、FONTEC FOCD9230、1982年ライブ、2005年発売)の解説文(岩野裕一)