台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処
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(亜東関係協会大阪弁事処福岡分処から転送)
台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処 臺北駐大阪經濟文化辦事處福岡分處 | |
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所在地 | 日本 |
住所 | 福岡県福岡市中央区桜坂3-12-42 |
座標 | 北緯33度34分27秒 東経130度23分8.2秒 / 北緯33.57417度 東経130.385611度座標: 北緯33度34分27秒 東経130度23分8.2秒 / 北緯33.57417度 東経130.385611度 |
開設 | 1972年12月 |
総領事 | 陳銘俊(処長) |
ウェブサイト | www |
台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処(タイペイちゅうおおさかけいざいぶんかべんじしょふくおかぶんしょ、繁体字中国語: 臺北駐大阪經濟文化辦事處福岡分處、英語: Fukuoka Branch, Taipei Economic and Cultural Office in Osaka)は、中華民国(台湾)が日本の福岡県福岡市に設置している領事館級の外交代表機構である。一つの中国政策による制約のため、1972年9月の日華断交後は両国間に正式な外交関係はないが、民間機関という名目で実質的な外交代表機構が置かれている[1]。
沿革
[編集]在福岡中華民国総領事館 中華民國駐福岡總領事館 | |
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所在地 | 日本 |
住所 | 福岡県福岡市鳥飼1-2-26[2] |
開設 | 1970年7月 |
閉鎖 | 1972年9月 |
総領事 | 黄新壁(総領事代理) |
ウェブサイト | なし |
在長崎中華民国領事館 中華民國駐長崎領事館 | |
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所在地 | 日本 |
住所 | 長崎県長崎市中川町52[3] |
開設 | 1912年 |
閉鎖 | 1970年7月 |
総領事 | 張庸夫(領事) |
ウェブサイト | なし |
日華両国に正式な国交が持たれていた1970年7月、在長崎中華民国領事館(繁体字中国語: 中華民國駐長崎領事館、英語: Consulate of the Republic of China in Nagasaki)が福岡へ移転して総領事館に昇格した。1972年12月、日華断交に伴い閉鎖された在福岡中華民国総領事館(繁体字中国語: 中華民國駐福岡總領事館、英語: Consulate-General of the Republic of China in Fukuoka)に代わって、亜東関係協会大阪弁事処福岡分処(繁体字中国語: 亞東關係協會大阪辦事處福岡分處)が設置される。1992年5月15日、亜東関係協会の改名について日華両国で合意され、同月20日、台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処に改称された[4]。
所在地
[編集]日本語 | 〒810-0024 福岡県福岡市中央区桜坂3-12-42[5] |
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中国語 | 郵遞區號810-0024 福岡縣福岡市中央區櫻坂3-12-42[6] |
英語 | 3-12-42, Sakurazaka, Chuo-ku, Fukuoka 810-0024[6] |
公館長
[編集]長崎領事(1912年 - 1970年)
[編集]代 | 氏名(日本語) | 氏名(中国語繁体字) | 着任 | 退任 | 備考 |
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1 | 徐善慶 | 徐善慶 | 1912年 | 1914年 | |
2 | 胡礽泰 | 胡礽泰 | 1914年 | 1917年 | |
3 | 馮冕 | 馮冕 | 1917年 | 1920年 | 1920年5月に長崎領事として沖縄県知事や石垣村長に感謝状を送った[7][8] |
4 | 郭則済 | 郭則濟 | 1920年 | 1927年 | |
5 | 唐榴 | 唐榴 | 1927年 | 1929年 | |
6 | 林澄波 | 林澄波 | 1929年 | 1930年 | |
7 | 張翅 | 張翅 | 1930年 | 1934年 | 総領事級 |
8 | 劉汝祥 | 劉汝祥 | 1934年 | 1936年 | |
9 | 任家豊 | 任家豐 | 1936年 | 1938年 | |
空席(1938年 - 1941年) | 空缺(1938年 - 1941年) | ||||
10 | 潘耀源 | 潘耀源 | 1941年 | 1945年 | 汪精衛(汪兆銘)政権による派遣 |
空席(1945年 - 1952年) | 空缺(1945年 - 1952年) | ||||
11 | 張希良 | 張希良 | 1952年 | 1954年 | |
12 | 陳衡力 | 陳衡力 | 1954年 | 1956年 | |
13 | 常家鎧 | 常家鎧 | 1956年 | 1962年 | |
14 | 李裕生 | 李裕生 | 1962年 | 1964年 | |
15 | 呉玉良 | 吳玉良 | 1964年 | 1967年 | 大阪総領事 |
16 | 張庸夫 | 張庸夫 | 1967年 | 1970年 | 大阪総領事 |
福岡総領事(1970年 - 1972年)
[編集]代 | 氏名(日本語) | 氏名(中国語繁体字) | 着任 | 退任 | 備考 |
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- | 黄新壁 | 黃新壁 | 1971年 | 1972年 | 総領事代理[9] |
福岡分処長(1972年 - )
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
代 | 氏名(日本語) | 氏名(中国語繁体字) | 着任 | 退任 | 備考 |
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郭明山 | 郭明山 | 1998年 | 大阪弁事処長[10] | ||
黄明朗 | 黃明朗 | 1998年 | 横浜分処長[11] | ||
黄諸侯 | 黃諸侯 | 2002年 | 横浜分処長、大阪弁事処長[12] | ||
周碩穎 | 周碩穎 | 2010年7月 | [13] | ||
曽念祖 | 曾念祖 | 2010年7月 | 2013年4月 | [14] | |
戎義俊 | 戎義俊 | 2013年4月 | 2018年7月 | [15] | |
陳忠正 | 陳忠正 | 2018年7月 | 2021年10月 | [16] | |
陳銘俊 | 陳銘俊 | 2021年10月 | (現職) | [17] |
出典
[編集]- ^ 駐福岡弁事処業務内容 - 台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処
- ^ 『昭和46年版 わが外交の近況(第15号)』第3部 > II 付表 > 3. わが国に置かれている外国公館一覧表
- ^ 『昭和45年版 わが外交の近況(第14号)』第3部 > II 付表 > 3. わが国に置かれている外国公館一覧表
- ^ 国立政治大学国際法学研究センターの黃剛による論文「中華民國與各國互駐代表機構之建制年表及疑考 (1949~2006)」(2007年), p.39
- ^ 連絡先及び執務時間 - 台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処
- ^ a b 駐福岡辦事處住址、聯絡方式及辦公時間 - 臺北駐大阪經濟文化辦事處福岡分處
- ^ [写]駐長崎領事館公函第三五号 | 尖閣諸島資料ポータルサイト
- ^ 尖閣諸島に関するパネル | 外務省
- ^ 1970年代中華民國對日僑務政策之變化:以中日斷交前後為中心, p.200, l.18
- ^ 中華民國八十六年外交年鑑 > 附錄 > 十三、中華民國駐外代表機構名錄 > 中華民國駐外代表機構名錄
- ^ 中華民國八十八年外交年鑑 > 附錄 > 十二、中華民國駐外代表機構名錄 > 中華民國駐外代表機構名錄
- ^ 日台交流協会【月例会案内】
- ^ 長崎縣知事「台灣是中國地方機關」 我駐福岡處長「不予評論」 - 國際 - 自由時報電子報
- ^ 駐福岡弁事処長に曽念祖・駐日代表処総務部長 台北駐日経済文化代表処 7月16日付で
- ^ 日台の若者が切磋琢磨する関係を 台北駐福岡弁事処の名物処長・戎義俊氏退任 - 産経ニュース
- ^ 台湾の駐福岡処長に陳忠正氏|【西日本新聞】
- ^ 【陳銘俊の一筆両断・特別編】台湾はTPP加入で世界の経済発展に貢献(1/2ページ) - 産経ニュース
関連項目
[編集]- 台北駐日経済文化代表処 - 駐日大使館級の外交代表機構
- 台北駐大阪経済文化弁事処 - 在大阪総領事館級の外交代表機構で、福岡分処の上部組織
- 長崎国旗事件