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胡礽泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
胡礽泰
『維新政府之現況』(1939年)
プロフィール
出生: 1875年光緒2年)
死去: 1940年民国29年)?
中華民国の旗 中華民国江蘇省宝山県
出身地: 清の旗 江蘇省太倉州宝山県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 胡礽泰
簡体字 胡礽泰
拼音 Hú Réngtài
ラテン字 Hu Jeng-t'ai
和名表記: こ じょうたい
発音転記: フー ロンタイ
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胡 礽泰(こ じょうたい、中国語: 胡礽泰; 拼音: Hú Réngtài; ウェード式: Hu Jeng-t'ai)は、中華民国の政治家・外交官。伯平

事績

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1898年、日本に留学し、1900年には更にアメリカへ留学した[1]。帰国後は民政部郎中、資政院議員を歴任した。1914年民国3年)12月、駐日本長崎領事署理として来日し、翌年3月、正式に領事に昇進した[2]1917年(民国6年)7月、北京政府交通部航政司司長に就任し、1922年(民国11年)6月まで務めている[3]

1938年(民国27年)7月[4]、胡礽泰は中華民国維新政府司法行政部長に就任した[5]。しかし、胡は維新政府行政院長の梁鴻志と権力闘争を展開して敗退[1]1940年(民国29年)1月に下野へ追い込まれたという[5]。帰郷後、まもなく病没した[1]

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  1. ^ a b c 姚(2011)。
  2. ^ 徐主編(2007)、982頁。
  3. ^ 郭主編(1990)、84頁。
  4. ^ 徐(2007)によると、1938年3月。
  5. ^ a b 郭主編(1990)、1903頁。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4 
  • 姚瑞珂「天津扶轮校史馆」―「铁路同人教育会人物简介」柴春沢ホームページ、2011年11月15日。
  中華民国維新政府
先代
許修直
司法行政部長
1938年7月 - 1940年1月
次代
朱履龢