井田金七
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井田 金七(いだ きんしち、1881年〈明治14年〉9月26日[1] - 1932年〈昭和7年〉11月23日[2])は、日本の酒造家、和泉屋[3]、政治家・群馬県会議員[3][4]、群馬県多額納税者[4][5]。前名・保一[4]。
人物
[編集]群馬県人・先代金七の長男[4]。井田家は江戸時代、代々問屋役と名主を務め、江戸の中頃より造り酒屋を営んだ[6]。1905年、家督を相続し前名・保一を改め襲名した[4]。醸造業を営んだ[4]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。住所は群馬県佐波郡玉村町大字上新田[7]。
家族・親族
[編集]井田家
[編集]- 父・金七(井田保一の父)[4]
- 妻・ノリ(1884年 - ?、群馬、天田長三郎の姪)[4]
- 長男・金七(1906年 - ?、前名・聡一郎、1932年に家督を相続し前名・聡一郎を改め襲名、群馬県多額納税者、酒造業)[7]
井田保一の兄弟・姉妹
[編集]- 長弟・悌(戸籍上の名は「弟」[4])(1888年-1971年、群馬、明治33年 旧制前橋中学卒)
- 次弟・哲三(1891年 - ?)[4]
- 三弟・吾朗(1898年 - ?)[4]
- 四弟・文夫(1900年 - ?、群馬、のちに井田鐘蔵の養子となった[4]。サンヨー食品初代社長)
- 文夫の長男・井田毅
- 五弟・倬(1904年 - ?)[4]
- 長妹・サエ(1894年 - ?、群馬、代議士木暮武太夫の妻)[4]
親戚
[編集]- 木暮武太夫(群馬県多額納税者、旅館業、衆議院議員、参議院議員、運輸大臣)
- 内田源六郎(群馬県多額納税者、長弟・悌の妻・榮子の祖父、実業家・渋沢栄一の僚友、群馬県会議員、初代群馬県新町(現高崎市)町長)
関連人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』159頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月19日閲覧。
- ^ 『伊勢崎史話 第126号』22頁。
- ^ a b 『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』群馬1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第9版』イ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月19日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第31版』全国多額納税者 群馬県22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月19日閲覧。
- ^ a b “みどころ情報(史跡) | 玉村町”. www.town.tamamura.lg.jp. 玉村町 (2014年9月18日). 2021年12月4日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』イ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月19日閲覧。
- ^ “井田酒造|水のふるさと 群馬の地酒”. sake.pref.gunma.jp. 群馬県. 2021年12月4日閲覧。
- ^ “歴代正副議長一覧”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2021年12月4日閲覧。
- ^ 妹尾直道 (2021年5月25日). “県議会が開会し、新正副議長選出 補正など30議案提出 /群馬”. 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. 2021年12月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『伊勢崎史話 第126号』伊勢崎市立図書館、1969年。