コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

井東安久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いとう やすひさ

井東 安久
生誕 1902年11月7日
日本の旗 日本
鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神
(現在の境港市佐斐神町
死没 (1983-12-01) 1983年12月1日(81歳没)
職業 実業家
配偶者 先妻・井東つよ
後妻・井東君子
子供 6人
テンプレートを表示

井東 安久(いとう やすひさ、明治35年(1902年11月7日 - 昭和58年(1983年12月1日)は日本実業家。井東建設元代表取締役[1]境港商工会議所の常議員、監事参与などを歴任。井東家の八代目。

経歴

[編集]

明治35年(1902年)11月7日、鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現在の境港市佐斐神町)に父・井東藤重、母・ゑせのの長男として生まれた。出身地の佐斐神は明治20年代から栽培・養蚕業が主産業になった[2]。若いころは馬車曳きの仕事をした。

昭和22年(1947年洋瓦製造販売を創業[3]、昭和30年(1955年法人に改組した[3]

昭和30年(1955年)4月境港商工会議所議員に就任し、その後常議員、監事を歴任、昭和52年(1977年)4月から参与を務め、地域経済の振興、発展に尽力した。

昭和58年(1983年)12月1日、脳梗塞のため死去した。は境港市小篠津町の“幸神町墓苑”にある。

人物像

[編集]

人柄・性格、趣味など

[編集]

趣味スポーツ[3]宗教曹洞宗[3]

『新日本人物大観(鳥取県版)』、昭和33年(1958年) イ…61頁に記載されている井東の肩書は「()井東洋瓦社長[3]、美保商店会長[3]、境港市商工会議所常議員[3]、建設業部会副会長[3]、貯蓄組合会長[3]、美保製箸(取締役[3]」などである。

井東建設有限会社

[編集]
営業内容・総合建設[4]
従業員・21名~50名[4]
資本金・1000万円[4]
取引銀行・扶桑[4]合銀大篠津[4]
通商産業大臣許可 第667046号空洞コンクリートブロック[5]
建設工事 鳥取県知事許可(特~54) 第287号[5]
土木工事 鳥取県知事許可(般~54) 第287号[5]
日本工業規格表示許可工場[5]
代表取締役 井東安久[5]
代表取締役 川本浅夫[5]

表彰

[編集]

昭和44年(1969年)11月3日、「善行表彰」(市営野球場に内外野フェンスを寄贈したため)[6]

家族・親族

[編集]

井東家

[編集]
鳥取県境港市佐斐神町・境港市幸神町
鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現在の境港市)の井東家はもともと“井田”姓だったが、“井田の東”(いだのひがし)と呼ばれていたため、“井東”に改めた。井東家の初代は戒名“麗庵藍光恵玉大姉”という女性だった。[7]
  • 曾祖父・伊喜藏 - 井東家の五代目
文政10年(1827年)10月生~明治27年(1894年)8月没
天保5年(1834年)8月生~大正13年(1924年)11月没
  • 祖父・長次郎 - 井東家の六代目
安政3年(1856年)2月生~明治42年(1909年)没
安政5年(1858年)5月生~没
  • 父・藤重(元佐斐神町自治会長(区長[9]) - 井東家の七代目

父・井東藤重
井東家七代目
佐斐神自治会長
明治12年(1879年)12月生~没
  • 母・ゑせの(佐斐神村(現境港市佐斐神町)、井田磯吉の三女)
明治12年(1879年)8月生~没
  • 姉・茂子境町(現境港市)、権田尭の妻)
忠好
明治41年(1908年)2月生~没
正博
大正元年(1912年)12月生~没
同妻・栄子(渡村(現境港市渡町)、植田賢衛の長女)
  • 先妻・つよ(渡村(現境港市渡町)、植田三太郎の長女)
明治32年(1899年)11月生~昭和9年(1934年)2月没
昭和4年(1929年)11月生~
大正15年(1926年)3月生~平成25年(2013年)4月没
伯耆溝口に大江さんと大江・大江川あり
  • 二男・貞二…後妻との間の子
昭和10年(1935年)12月生~没
  • 三女・友子米子市灘町、岩木家に嫁する)…後妻との間の子
昭和15年(1940年)3月生~平成20年(2008年)12月没
  • 三男…後妻との間の子

参考文献

[編集]
  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 イ…61頁
  • 『境港商工名鑑(1980年)』 編集・発行境港商工会議所

関連

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『境港商工名鑑(1980年)』、25頁
  2. ^ 角川日本地名大辞典 31鳥取県』 355頁
  3. ^ a b c d e f g h i j 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 イ…61頁。
  4. ^ a b c d e 『境港商工名鑑(1980年)』、101頁
  5. ^ a b c d e f 『境港商工名鑑(1980年)』、広告索引5頁
  6. ^ 『境港市三十五周年史』353頁・第十回境港市表彰者名簿(昭和四十四年十一月三日)より
  7. ^ なお同じ中浜村出身の“井田氏”に書家の井田磐山、医師の井田武雄などがいる。井田武雄の生家の井田家は上総国武射郡坂田城井田刑部大輔の末裔とつたえられ、武雄は刑部大輔より25世の子孫であると称している。
  8. ^ 和田・富益地区
  9. ^ 『移転10周年記念誌(幸神町自治会)』16-17頁
  10. ^ 『境港商工名鑑(1980年)』、95頁
  11. ^ 『境港商工名鑑(1980年)』、28頁
  12. ^ 武家家伝_井田氏井田氏について