井伊中顕
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政11年12月1日(1799年12月26日) |
死没 | 嘉永5年6月26日(1852年8月11日) |
別名 | 恭之助 |
官位 | 筑後守 |
主君 | 井伊直亮→直弼 |
氏族 | 井伊氏→中野氏→井伊氏 |
父母 |
父:井伊直中、母:津田信備の養女(宮川春昭の娘) 養父:中野中経 |
兄弟 | 直清、穠姫(長女、蜂須賀斉昌正室)、某、直亮、鋭三郎、亀五郎、知(榊原政養正室)、中顕、充(内藤政順正室)、秩、中川久教、内藤政成、芳(松平忠侯正室)、松平勝権、新野親良、直元、横地義之、内藤政優、直弼、内藤政義 |
妻 | 正室:生駒吉雄の娘 |
子 | 顕道(内藤政文)、亮寿 |
井伊 中顕(いい なかあき)は、近江彦根藩井伊家の一門。同第13代藩主井伊直中の六男[1]。第14代藩主井伊直亮の異母弟、第15代藩主井伊直弼の異母兄である。
生涯
[編集]生母は直中の次男(早世)と同じである[2]。寛政12年(1800年)3月に井伊家の家老である中野助太夫中経の養子となる[2]。
文化13年(1816年)10月9日に本姓に復し[2]、直亮・直弼ら歴代藩主に仕えて補佐に当たった。嘉永5年(1852年)6月26日に死去した。享年54。跡を子の亮寿が継いだ[2]。