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春本富士夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上潔から転送)
はるもと ふじお
春本 富士夫
本名 井上 喜吉(いのうえ よしきち)
別名義 市川 小蝦(いちかわ こえび)
井上 潔(いのうえ きよし)
マキノ 潔(まきの きよし)
春本 喜好(はるもと きよし)
春本 泰男(はるもと やすお)
生年月日 (1912-06-02) 1912年6月2日
没年月日 (2001-02-19) 2001年2月19日(88歳没)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
職業 俳優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1910年代 - 1990年代
著名な家族 六代目尾上松助(長男)
大谷桂三(三男)
二代目尾上松也(孫)
春本由香(孫)
主な作品
残菊物語』(1939年)
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春本 富士夫(はるもと ふじお、1912年6月2日 - 2001年2月19日)は、日本の新派俳優。本名は井上 喜吉(いのうえ よしきち)。子役時代は市川 小蝦(いちかわ こえび)、井上 潔(いのうえ きよし)、青年時代はマキノ 潔(まきの きよし)、のちに春本 喜好(はるもと きよし)[1]、春本 富士夫(はるもと ふじお)、春本 泰男(はるもと やすお)と改名を重ねた。

大阪府大阪市出身。新派の名脇役で、子役時代から120本以上の映画に出演し映画俳優としても活躍した。子に六代目尾上松助大谷桂三が、孫に二代目尾上松也春本由香がいる。

来歴

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1912年(明治45年)6月2日大阪市に生まれる。幼くして市川蝦四郎に入門、子役として初舞台を踏む。1920年(大正9年)9月、市川姉蔵とともに、8歳で日活関西撮影所に入社、「市川小蝦」を名乗る[1]

当時の関西撮影所長・牧野省三は姉蔵を尾上松之助に並ぶスターに育てようと目論んでいたが、1921年(大正10年)4月、姉蔵は急死する。牧野はこれを機に日活を退社して、同年6月、「牧野教育映画製作所」を設立、9歳の小蝦はこれに参加する[1]。主演作『豪傑の一夜』(1922年)などに出演する。

1923年(大正12年)6月、同社のマキノ映画製作所への改組にあたり、旧劇(時代劇)では小蝦、新劇(現代劇)では「井上潔」を名乗ることになる。同年6月1日の設立第1作の市川幡谷片岡市太郎主演の時代劇『弥次と北八 第一篇』、翌週公開の『弥次と北八 第二篇』では小蝦、さらに翌週の6月15日公開の衣笠貞之助監督の現代劇『彼の山越えて』では「井上潔」とつかいわけた。同年11月30日公開の寿々喜多呂九平脚本、沼田紅緑監督の『小雀峠』では小蝦名で主役を務めた。同年末公開の時代劇『或る日の大石』以降は、「井上潔」に一本化した[1]

1924年(大正13年)7月のマキノ映画製作所の東亜キネマへの合併後も、1925年(大正14年)6月のマキノ・プロダクション設立後も牧野のもとを離れず、1927年(昭和2年)、牧野から「マキノ潔」を命名され[1]、同年の中島宝三監督の『万花地獄』以降、同名を名乗る。翌1928年(昭和3年)、マキノ登六らマキノ家に許されて「マキノ」姓を戴いた五人組で、「マキノ青年派」を結成し、その結成第1作『神州天馬侠 第一篇』は同年2月3日に公開され、同年中に全4作が製作された[2]

1929年(昭和4年)7月25日に恩師の牧野が死去。1931年(昭和6年)にマキノ・プロダクション解散後は、関西新派の梅野井秀男一座への参加を経て、花柳章太郎に入門。春本喜好の芸名を名乗る。1939年(昭和14年)には、松竹京都撮影所で溝口健二監督の『残菊物語』に「春本喜好」名で出演している。

第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)に大映東京撮影所(のちの角川大映撮影所)に入社、「春本富士夫」を名乗る[1]。同京都撮影所にも呼ばれ、1952年(昭和27年)の『大あばれ孫悟空』では三蔵法師を演じた。東京撮影所では、1956年(昭和31年)の石原慎太郎原作の『処刑の部屋』や溝口健二監督の遺作『赤線地帯』(1956年)にも出演している。1965年(昭和40年)の田中徳三監督の勝新太郎主演作『悪名無敵』に出演を最後に、翌年から「春本泰男」名で1967年まで現代劇に出演した。

その後は再び古巣である新派の舞台へと戻る[1]。名脇役として、新派狂言の要のひとりとして晩年まで活躍を続けた。新派以外の商業演劇へも多数出演している。

2001年(平成13年)2月19日転移性肝がんで死去した。88歳没。

出演

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映画

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「春本富士夫」の項(p.475)を参照。同項執筆は奥田久司。同項の表記は同書に従い「春本富士夫」とした。
  2. ^ 『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「マキノ登六」の項(p.529)を参照。同項執筆は盛内政志

関連項目

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外部リンク

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