大谷桂三
表示
しょだい おおたに けいぞう 初代 大谷 桂三 | |
屋号 | 十字屋 |
---|---|
定紋 | 巴の二重丸 |
生年月日 | 1950年6月11日(74歳) |
本名 | 井上敬三 |
襲名歴 | 1. 初代尾上松也 2. 四代目坂東志うか 3. 初代大谷桂三 |
出身地 | 東京都中央区銀座 |
父 | 春本泰男 |
母 | 清元延はる寿 |
兄弟 | 六代目尾上松助(長兄) 清元邦寿(次兄)(清元節三味線方) |
子 | 大谷龍生 |
初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、昭和25年(1950年)6月11日 – )は、歌舞伎役者。屋号は十字屋。定紋は巴の二重丸。本名は井上 敬三(いのうえ けいぞう)。東京銀座生まれ。青山学院高等部卒業。兄は六代目尾上松助、甥は二代目尾上松也、姪は春本由香(新派)、長男は大谷龍生。
略歴
[編集]新派の春本泰男の三男として生まれる。母は女流清元節の清元延はる寿、上の兄は六代目尾上松助、二番目の兄は清元節三味線方の清元邦寿[1]。
昭和31年 (1956年) 1月、新橋演舞場『雨乞妻』の倅与太郎で初舞台を踏む。その後二代目尾上松緑の部屋子となり、昭和34年 (1959年) 2月、初代尾上松也を襲名した。十一代目市川團十郎襲名披露「鏡獅子」に今の市川團蔵と共に胡蝶を舞う、名子役であった。昭和39年 (1964年)、 十四代目守田勘彌に芸養子入りし、六月歌舞伎座にて四代目坂東志うかを襲名した。1969年19歳で歴代最高得点の技能で名題昇進試験を合格する。しかし病を煩い、1973年御園座「女暫」紅梅姫にて大谷桂三と改名し、独立した。
その後病が悪化し、養生のため一時期舞台を離れていたが、平成6年(1994年)11月、14年ぶりに歌舞伎復帰。歌舞伎の伝承を精力的に取組み、養生期間より慶應義塾大学歌舞伎研究会講師を引受け、復帰後も計25年間勤めた。平成20年(2008年)、チャールズ3世(当時皇太子)・カミラ夫妻来日の際には、学生による歌舞伎披露演出を支えた。
平成29年(2017年)4月、歌舞伎座『娘道成寺』にて長男・公春が初代大谷龍生を名乗り初舞台[2]。
脚注
[編集]- ^ 大谷桂三 プロフィール | 歌舞伎 大谷桂三 Official Site
- ^ “大谷龍生|歌舞伎役者 大谷桂三のブログ” (2017年4月1日). 2017年5月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 十字屋 大谷桂三ホームページ
- 十字屋 大谷桂三ブログ
- 大谷桂三 (pages/大谷桂三/209982349021896) - Facebook
- 大谷 桂三(初代) - 歌舞伎俳優名鑑