井上正幸 (正任の子)
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承応元年(1652年) |
死没 | 正徳4年9月28日(1714年11月5日) |
戒名 | 性學院稱山日榮 |
墓所 | 豊島区の本納寺 |
官位 | 従五位下・出雲守 |
藩 | 常陸笠間藩世嗣→美濃郡上藩→丹波亀山藩→常陸下館藩 |
氏族 | 井上氏 |
父母 | 井上正任、本多忠義娘 |
兄弟 |
正幸、正岑、正長、金森頼業正室、 酒井重英、正照、貞照院、丹羽氏音正室ら |
子 | 井上正岑養女 |
井上 正幸(いのうえ まさゆき)は、江戸時代前期の常陸国笠間藩の世嗣。官位は従五位下・出雲守。
略歴
[編集]2代藩主・井上正任の長男として誕生した。母は本多忠義の娘。子は井上正岑養女(松平康房正室のち本多忠貞正室)。
嫡男として生まれ、寛文2年(1662年)に将軍徳川家綱に御目見した。寛文9年(1669年)に叙任する。しかし、家督相続前の元禄2年(1689年)に廃嫡される。代わって次弟の正岑が嫡子となった。
正岑は元禄5年(1692年)に家督を相続したが、井上家はその前後に4度の転封を行った。正幸は3度目の転封後の常陸下館藩時代、正徳4年(1714年)に63歳で没した。法名は性學院稱山日榮。