井上圭一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県富士市 |
生年月日 | 1951年10月4日(73歳) |
身長 体重 |
183 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト1位 |
初出場 | 1973年4月18日 |
最終出場 | 1973年10月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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井上 圭一(いのうえ けいいち、1951年10月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]静岡県立吉原工業高校から三菱重工川崎(1970年に三菱自動車工業川崎工場となる)に進み、池田善吾とともに左右の二本柱として活躍した。1970年11月、東映フライヤーズからドラフト2位指名を受けるも、入団を拒否[1]。
1971年の都市対抗に出場し、1回戦で新日鐵広畑の三沢淳らと投げ合うが敗退[2]。同年11月のドラフト会議で、ロッテオリオンズに全体1位で指名される。しかし交渉権を保留して翌1972年の都市対抗に出場。準々決勝では電電九州を相手に先発、勝利投手となる。チームは決勝まで進出するが、日本楽器の新美敏に完封を喫し、準優勝にとどまる[2]。他のチームメイトに原田俊治、鈴木博昭、永尾泰憲(いすゞ自動車から補強)らがいた。その後、ドラフト最終期限前にロッテオリオンズに入団した[1]。
オリオンズでは1年目から公式戦登板を果たすが、僅か4試合に投げただけで、2年目は肘の故障などの影響で活躍できなかった。
1974年オフ、池辺巌と共に、鈴木皖武・上辻修・小川清一・森山正義・平山英雄との交換トレードで阪神タイガースへ移籍[1]。しかしタイガースでは公式戦登板の機会がなく、1年在籍しただけで退団[1]。24歳の若さでプロ球界から去った。その後は、地元で会社勤務[3]。
得意球は直球とカーブ、シュート、チェンジアップも稀に投げた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1973 | ロッテ | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 21 | 4.2 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 1.29 |
通算:1年 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 21 | 4.2 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.00 | 1.29 |
記録
[編集]- 初登板:1973年4月18日、対日拓ホームフライヤーズ前期2回戦(後楽園球場)、5回裏から3番手で救援登板、2回無失点
- 初先発登板:1973年4月22日、対阪急ブレーブス前期4回戦(後楽園球場)、2/3回4失点(自責点0)で勝敗つかず
背番号
[編集]- 19(1973年 - 1974年)
- 43(1975年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 井上圭一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)