井上哲也
井上 哲也 いのうえ てつや | |
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生年月日 | 1957年1月30日(67歳) |
出生地 | 大阪府東大阪市 |
出身校 | 和歌山大学経済学部 |
前職 |
吹田市議会議員 大阪府議会議員 大阪府吹田市長 |
所属政党 |
(日本社会党→) (自由民主党→) (大阪維新の会→) 無所属 |
称号 | 経済学士 |
親族 |
井上一成(伯父) 井上信也 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2011年(平成23年)6月 - 2015年(平成27年)5月13日 |
大阪府議会議員 | |
選挙区 | 吹田市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年(平成15年) - 2011年(平成23年) |
吹田市議会議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1983年(昭和58年) - 1999年(平成11年) |
井上 哲也(いのうえ てつや、1957年〈昭和32年〉1月30日[1] - )は、日本の政治家。大阪府吹田市長(第19代、1期)や大阪府議会議員(2期)など務めた。大阪維新の会顧問だったが、党代表橋下徹により解任された。伯父は郵政大臣(第60代)や摂津市長(第2代)を務めた井上一成[2]。
略歴
[編集]大阪府東大阪市生まれ。1980年(昭和55年)、和歌山大学経済学部経済学科卒業(28期[3])。
井上一成の秘書を務め[4]、1983年4月の第10回統一地方選挙で、日本社会党から吹田市議会議員選挙に出馬し、最年少(当時)26歳[5]で初当選。以後4期務め、1996年(平成8年)に吹田市議会議長(第51代)に史上最年少で就任した。
2003年4月の第15回統一地方選挙で鞍替え出馬し、自由民主党から大阪府議会議員選挙に初当選。
2007年の府議選で再選。
2010年、橋下徹大阪府知事が結成した地域政党「大阪維新の会」の結党に参加した。
2011年4月の第17回統一地方選挙でも鞍替え出馬し、大阪維新の会公認で吹田市長選挙に出馬。「飛ぶ鳥落とす勢いの維新人気[6]」を追い風に、橋下知事に批判的であった現職の阪口善雄市長を破り、初当選した。
2012年、自身の後援会幹部が代表取締役を務める企業による市事業への「異例の単独随意契約[7]」が発覚し、10月30日に大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長により大阪維新の会の顧問を解任される。翌10月31日、大阪維新の会を離党した[8]。
2015年4月の第18回統一地方選挙では、再選を目指して、離党したにもかかわらず大阪維新の会から推薦をもらい、吹田市長選挙に無所属で出馬。元職の阪口善雄(民主党および社民党推薦)も含め4人で争われたが[9]得票率3位26.60%(得票数3万6,092)に終わり、得票率31.96%(得票数4万3,368)を得た吹田市の元幹部(道路公園部部長)後藤圭二(自民党・公明党推薦)に大差で敗れた[10]。
人物
[編集]和歌山大学への進学
[編集]司馬遼太郎作品などの歴史小説好きで、「政治家はやはり『坂の上の雲』を読まないといけませんね」として、東郷平八郎の「勝って兜の緒を締めよ」というセリフが心に残ったと語ろ、「やはり学生時代にもっと読んでおけばよかった」と語っている。和歌山大学に進んだ理由について、大学受験時に「国立大学なのに英数国の3教科で試験」の容易さと、入試偏差値レベルで「和歌山大学にしか通らなかった」ため、と和歌山大学の後輩に説明している[3]。入学後麻雀遊び三昧の学生生活だったが、「親に申し訳なくなって、途中で麻雀をやめてからは簿記学校に通い」簿記検定2級の資格を取得した[3]。
井上一成や橋下徹を「盾」に出世
[編集]和歌山大学4回生の時に伯父井上一成の衆院選出馬を手伝い、「就職活動のタイミングを逃してしまった」ため、政治の道に入ったとしている[11]。
いわゆる世襲政治家のため、市議会で幾度も「井上一成氏や橋下徹氏という大物政治家を風よけの盾にして、その後ろをついて歩き、何とか吹田市長までたどり着きました。」と[5]などと言及されている。
伯父の一成に倣い毎年1月に部落解放同盟の支部へ新年挨拶として訪れていた[4]。
元秘書に関する報道
[編集]2015年3月13日、衆議院議員(当時)の上西小百合が衆議院本会議を欠席し、翌14日と15日に公設第一秘書の男性と不倫温泉旅行に出かけていたなどと週刊誌で報じられた際、この男性秘書が記者を恫喝し、「オラオラ系秘書」として話題になった[12]。
この秘書は、もともと井上の府議時代の私設秘書で、市議時代に後援企業の電気設備会社から派遣され運転手を兼ねて選挙応援を行って以来の腹心の部下となっていた[6]。この後援企業が不祥事「異例の単独随意契約」の会社だった[7]。
不祥事
[編集]公職名で神社に寄付、韓国人から献金
[編集]2011年5月、府議時代に吹田市内の伊射奈岐神社に10万円を寄付、井上市長の名前入りの石碑が参道に設置されていた問題が発覚。井上はこれを受け寄付金の返還、石碑の撤去を神社側に要請した[13]。同年9月には、大阪府議時代に代表を務めていた政治団体「自民党大阪吹田市第1支部」が、平成21年11月に在日韓国人の男性が代表を務める法人から3万円の献金を受けていた事も発覚した[14]。
環境省事業、書類を見ず後援企業に発注
[編集]翌2012年、吹田市が環境省の補助金を活用し、市庁舎の屋上に太陽光パネルを設置する事業を、井上の後援会役員が社長を務める企業に約2,250万円で発注、随意契約を結んでいた事実が発覚した[15]。井上は、随意契約を行った企業が自身の後援企業だったことについて「まったく気付かなかった。職員への指示も一切ない」と釈明し陳謝したが、これにより橋下徹大阪維新の会代表から同党顧問を解任された[16]。
この「異例の単独随意契約[7]」を巡り吹田市議会は百条委員会を設置。契約手続は「地方自治体の事務執行の基本から大幅に逸脱しており、極めて不適正」の上、市場価格を「少なくとも800万円上回る金額」での契約であり、受注先が後援会企業とは知らなかったと井上が弁明した点についても、そもそも「書類に目を通さず決裁した」ことは「職責を放棄する重大な事態であり、市民の信託に反する」と断罪した上で、「市長決裁を必要とする、太陽光発電設備設置のような重要な契約が、市長への事前説明もなく締結されたとは考えられない」ことから、「市長の指示の疑い」と結論を下している[7]。
加えて、調査の過程で、異例の「建築課が通常行わない仕様書作成業務」「適正な積算業務を怠っていた」「概算工事費を精査できず」「契約検査室に起案文書を回さず承認も求めなかった」「契約価格が漏れていた可能性」「契約時に内訳書を提出させなかった」「環境省に対して事実と異なる報告を行っていた」なども発覚した[7]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、286頁。
- ^ Untitled - 吹田新選会
- ^ a b c ワダイのひと 和大OB・OGお仕事取材ファイル - Wakayama-univ. - 和歌山大学2013年(平成25年)1月31日
- ^ a b 2014年3月11日 吹田市議会平成26年3月定例会
- ^ a b 2015年3月11日 吹田市議会平成27年3月定例会
- ^ a b 上西小百合氏のオラオラ系秘書 前上司とも“トラブル心中”歴 - 産経新聞 「ironna」
- ^ a b c d e グリーンニューディール基金に係る随意契約及び関連業務等に関する調査特別委員会調査報告書 - 吹田市議会の百条委員会
- ^ 井上吹田市長:大阪維新の会を離党 不適切な工事発注で毎日新聞、2012年10月31日
- ^ 2015年吹田市長選挙公報
- ^ 吹田市|平成27年4月26日執行 吹田市議会議員選挙及び吹田市長選挙
- ^ >市長対談:井上哲也市長/西川滋夫 : 公益社団法人吹田青年会議所│活動報告 - 公益社団法人吹田青年会議所2012年1月15日
- ^ 【関西の議論】「橋下氏がビビって公開討論受けない」〝浪速のエリカ様〟が挑発 恋人は“恫喝秘書”でなくショーンK似イケメン実業家 - 産経新聞2016年(平成28年)8月22日
- ^ “神社の石碑に名前が…大阪・吹田市長、府議時代に寄付 公選法抵触も”. 産経新聞. (2011年5月21日) 2011年10月22日閲覧。
- ^ “在日韓国人の会社から献金 吹田市長のかつての政治団体”. 産経新聞. (2011年9月17日) 2011年10月22日閲覧。
- ^ “吹田市が市長後援の企業に不透明な随意契約”. 産経新聞. (2012年10月31日) 2012年11月7日閲覧。
- ^ “橋下氏「身を引いてもらう」 井上市長が維新顧問退任へ”. 産経新聞. (2012年10月31日) 2012年10月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- 井上 哲也 (@inoue1996) - X(旧Twitter)
- 前吹田市長 井上哲也 公式ホームページ - ウェイバックマシン(2016年10月4日アーカイブ分)
公職 | ||
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次代 後藤圭二 |