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井上剛一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 剛一
いのうえ ごういち
井上剛一
生年月日 (1868-05-04) 1868年5月4日
慶応4年4月12日
出生地 日本の旗 日本 紀伊国伊都郡学文路村
(現和歌山県橋本市
没年月日 (1946-05-12) 1946年5月12日(78歳没)
出身校 和歌山県師範学校卒業
英吉利法律学校
前職 弁護士
所属政党 憲政会
立憲民政党
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井上 剛一(いのうえ ごういち、1868年5月4日慶応4年4月12日[1]) - 1946年昭和21年)5月12日[2])は、日本弁護士政治家憲政会立憲民政党所属の衆議院議員

経歴

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紀伊国伊都郡学文路村(現・和歌山県橋本市)に、水木重左衛門の二男に生まれ、井上又左衛門の養子となった[3]和歌山県師範学校を卒業した後、1887年明治20年)より英吉利法律学校(現・中央大学)で法学を学び、1889年(明治22年)に代言人試験に合格した[4]。浜松代言人組合に所属し、後には静岡弁護士会長や日本弁護士協会名誉理事に選ばれた[5]

浜松市会議員、静岡県会議員を経て、1920年大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。以後、当選回数は合計で4回を数えた。

その他に遠州電気鉄道株式会社取締役などを務めた[5]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、17頁。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 『大日本人物史』いゐの部 P.36
  4. ^ 『岳陽名士伝』P.741-744
  5. ^ a b 『衆議院要覧』

参考文献

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  • 山田万作『岳陽名士伝』1891年。 
  • 新田宗盛『昭和五年度版 大日本人物史』帝国時事通信社、1929年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和七年五月』衆議院事務局、1932年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。