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井上俊秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
井上俊秀
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 伯耆守
主君 毛利元就
氏族 清和源氏頼季安芸井上氏
父母 父:井上元盛
養子:井上春忠
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井上 俊秀(いのうえ としひで)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。井上元盛の次男。養子に小早川隆景の重臣となる井上春忠がいる。

生涯

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安芸井上氏井上元盛の次男として生まれ、福原広俊から「俊」の偏諱を貰い受けて「俊秀」と名乗った。

永正年間に幼少の毛利元就から多治比猿掛城と所領を横領した井上中務丞が死去すると、俊秀は井上俊久と共に元就へ多治比の所領が返還されるよう尽力した[1]

享禄5年(1532年7月13日付の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では、18番目に「井上伯耆守俊秀」と署名している[注釈 1][2]

後に元就は自分を支えてくれた家臣の一人に俊秀の名を挙げている。その他、俊秀と共に名前を挙げられているのは志道広良井上有景井上俊久粟屋元国国司有純国司有相[3]

没年は不明。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『毛利家文書』第420号、弘治4年(1558年)8月付 毛利元就書状写。
  2. ^ 『毛利家文書』第396号、享禄5年7月13日付 福原広俊以下家臣連署起請文。
  3. ^ 『毛利家文書』第418号、年月日不詳 毛利元就自筆書状。

参考文献

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