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井上俊次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上俊次
出生名 井上俊次
別名 ポッキー
社長
生誕 (1960-05-15) 1960年5月15日(64歳)
ジャンル アニメソング
J-POP
ヘヴィメタル
ハードロック
職業 作曲家
編曲家
ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器 キーボード
活動期間 1977年昭和52年) -
レーベル ランティス
共同作業者 レイジー

井上 俊次(いのうえ しゅんじ、1960年昭和35年〉5月15日 - )は、日本作曲家編曲家ミュージシャン音楽プロデューサー実業家。株式会社ハイウェイスターの株主。

株式会社バンダイナムコアーツ代表取締役副社長[1]、株式会社ハイウェイスター取締役会長[2]を歴任。

略歴・人物

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大阪府大阪市住吉区大領出身[3]住吉大社の近くにある下町で、中小企業の経理部のサラリーマンの次男として生まれる。小学校2年生の時、母親から買い与えられたオルガン音楽に目覚める。スズキ・メソード教育法でピアノ練習。中学1年生まで続けて「高等科」試験も取った[4]が、中学2年生の文化祭で同級生から「ピアノやってるやろ。キーボード弾いてくれ」と声をかけられたのを機に軽音楽に出会い、軽音楽に興味が移る。

その同級生に英国ロックバンドディープ・パープル」のサウンドを教わり、特にキーボーディストのジョン・ロードが弾く歪んだ音に大きな衝撃を受ける。文化祭では、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」を演奏し、野球部を退部し軽音楽の同好会に入部した。ドラムが大好きで、雑誌を太ももに巻き付けて、長い菜箸でたたいて練習していた。

1976年4月、大阪府立大和川高等学校(現・大阪府教育センター附属高等学校)に入学。友達の誘いで軽音楽部に入り、影山ヒロノブに出会う[5]

高校1年生の夏ごろ、影山がロックバンドレイジー』のメンバーを連れて訪ねてきたので、聞くとテレビ出演のオーディションを受けるといい、「助っ人になってほしい」と頼まれる。ドラムでなくキーボード担当の打診だったが「助っ人だけならいいか」と快諾した[6]

朝日放送「ハロー・ヤング」に出演、司会のかまやつひろしに認められてバンド全員で上京し、1977年、『レイジー』でデビュー。当時の愛称は「ポッキー」[7]

1981年、『レイジー』解散。同じ事務所「トライアングル・プロダクション」の3人組コーラスグループ『トロワ』とのユニット『BIG BANG』を結成し、クインシー・ジョーンズのヒット曲の日本語カバー「愛のコリーダ」をRVCからリリースする。田中宏幸とともに『ネバーランド』を結成。『ネバーランド』解散後『HUMAN NATURE』を経て、1990年平成2年)『AIRBLANCA』を結成。1991年、『AIRBLANCA』解散。その後は音楽プロデュースに専念する。1998年、『レイジー』再結成。

1999年、株式会社ランティスを設立。社長に就任。2010年バンダイナムコグループのライブエンターテインメント事業を担う新会社・株式会社バンダイナムコライブクリエイティブの社長に就任。ランティス社長も引き続き兼任する[1]2018年、バンダイビジュアルとランティスの統合による新会社「バンダイナムコアーツ」の副社長に就任。

2019年令和元年)6月23日、『ランティス祭り2019』に『レイジー』の一員として出演。曲間のメンバー紹介の際、ランティス20周年の感謝の意をステージ上から述べた。

2021年(令和3年)4月1日付をもってバンダイナムコアーツ副社長を退任[8]

2023年(令和5年)9月1日、組織再編により株式会社ハイウェイスターから社名変更した株式会社Earkth(アークス)の代表取締役社長に就任[9]

楽曲提供

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主な担当作品

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特記のない限り音楽プロデューサーを担当。

1983年

1986年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2021年

レコーディング参加作品

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関連項目

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 会社概要”. 会社情報. 株式会社バンダイナムコアーツ. 2019年8月17日閲覧。
  2. ^ HIGHWAY STARについて”. 株式会社ハイウェイスター. 2019年8月17日閲覧。
  3. ^ 第175回 株式会社バンダイナムコアーツ 代表取締役副社長 井上俊次氏 インタビュー【前半】 | Musicman”. 音楽業界総合情報サイト | Musicman (2020年11月18日). 2024年8月3日閲覧。
  4. ^ アニソンはブームを越えて 仕掛け人は元レイジー バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(1) - 日経新聞NIKKEI STYLE2020年令和2年)6月5日
  5. ^ ディープ・パープルに衝撃 影山ヒロノブとの出会い バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(2) - 日経新聞NIKKEI STYLE2020年6月12日
  6. ^ 助っ人参加だった「レイジー」 実力派として人気に バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(3) - 日経新聞NIKKEI STYLE2020年6月19日
  7. ^ ムッシュかまやつさんが親説得 レイジーとして東京へ バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(4) - 日経新聞NIKKEI STYLE2020年6月26日
  8. ^ 【人事】バンダイナムコアーツの4月1日付の取締役人事…専務取締役の河野聡氏が代表取締役社長に - gamebiz
  9. ^ 組織再編のお知らせ” (PDF). Earkth (2023年9月1日). 2024年1月13日閲覧。
  10. ^ 『ゲッターロボ アーク』オープニング映像. YouTube、BANDAI NAMCO Arts Channel. バンダイナムコアーツ. 2 July 2021. 2021年7月4日閲覧

外部リンク

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