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五陵 (慶州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慶州 五陵
경주 오릉
(Five Royal Tombs, Gyeongju)
大韓民国指定史跡第172号
(1969年8月27日指定)
種類遺跡墳丘墓
所在地大韓民国の旗 韓国
慶尚北道 慶州市塔洞67
座標北緯35度49分24秒 東経129度12分32秒 / 北緯35.82333度 東経129.20889度 / 35.82333; 129.20889座標: 北緯35度49分24秒 東経129度12分32秒 / 北緯35.82333度 東経129.20889度 / 35.82333; 129.20889
面積185,129m2 (89,950m2[1]、89,550m2[2])
建設新羅時代(西暦3-111年頃)
管理者慶州市
所有者慶州市ほか
ウェブサイト국가문화유산포털
ユネスコ世界遺産
所属慶州歴史地域
登録区分文化遺産: (2), (3)
参照976
登録2000年(第24回委員会)
五陵 (慶州)の位置(大韓民国内)
五陵 (慶州)
大韓民国における慶州 五陵
경주 오릉
(Five Royal Tombs, Gyeongju)の位置

五陵(ごりょう、ハングル오릉〈オルン〉)は、韓国慶尚北道慶州市塔洞(ハングル탑동〈タプドン〉)にある新羅初期の陵墓群である。1969年8月27日、大韓民国指定史跡第172号に新羅五陵(ハングル신라오릉)として指定された後、2011年07月28日、慶州五陵ハングル경주 오릉)に名称が変更された[3]。2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル경주역사유적지구)の大陵苑朝鮮語版地区に位置する[4]

伝承

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慶州にある新羅時代のほとんどの墳墓と同じく、各陵墓の被葬者は不詳であるが、5基の陵墓は『三国史記』などをもとに、新羅初代王の赫居世(かくきょせい〈ヒョッコセ〉、在位前57-後4年)と王妃の閼英(あつえい〈アリョル[5]、アルヨン〉)、第2代王の南解(なんかい〈ナムヘ[5]、ナメ〉、在位4-24年)、第3代王の儒理(じゅり〈ユリ〉、在位24-57年)、第5代王の婆娑(ばさ〈パサ〉、在位80-112年)のものといわれ[6]、五陵は(ぼく〈パク〉)氏の陵墓とされる[7][8]

『三国史記』は五陵を虵陵[9])と記しており、また、閼英夫人の陵墓についての記述はない[10]。『三国遺事』によれば、王(赫居世)が昇天してから7日後、遺体が地に散らばり落ち、王妃もまた亡くなった。国の人びとがこれを合葬しようとしたところ、大蛇が現れて遮ったので、それぞれ5体(王の遺体4片と王妃の遺体[9])を葬って5つの陵を造り[7]、これを虵陵(蛇陵[11])と名づけたと記される[10][12]。また、『新増東国輿地勝覧』においては、赫居世陵は五陵と称され、また蛇陵というとあり、五陵自体を赫居世の陵墓と捉えている[13]

形式

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五陵の墳丘は、いずれも封土(盛土[14])のほか装飾要素のない[9]新羅時代初期の陵墓である[15]。第1陵(西側正面)は高さ約10メートルの円形封土墳朝鮮語版で、その奥の第2陵は高さ約9メートル、第2陵の傍らにある第3陵は瓢(ひさご〈ヒョウタン〉)形で高さ約7.2メートル、その第2陵より反対側にある第4陵は高さ約3.6m、そして隣の第5陵は高さ約1.8メートルである[1]。第1陵など大型で円形の封土墳は、赫居世より後の時代、4世紀以降の新羅のものとされる[2]

脚注

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  1. ^ a b 경주오릉(慶州五陵)”. 한국학중앙연구원. 2023年5月20日閲覧。
  2. ^ a b 사적 제 172호 신라 오릉(新羅 五陵)”. 신라문화유산연구원. 2023年5月20日閲覧。
  3. ^ 경주 오릉 (慶州 五陵)”. 국가문화유산포털. 문화재청. 2023年5月20日閲覧。
  4. ^ 慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])”. Visit Korea. 地域ガイド. 韓国観光公社 (2021年7月30日). 2023年5月20日閲覧。
  5. ^ a b 慶州 五陵(경주 오릉)”. Korea Trip Tips. 韓国観光公社. 2023年5月20日閲覧。
  6. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、142-143頁
  7. ^ a b 秦 (1973)、46頁
  8. ^ 東、田中 (1988)、126頁
  9. ^ a b c 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、142頁
  10. ^ a b 関野 (1944)、659頁
  11. ^ 新羅史研究会 (1999)、132・134・136頁
  12. ^ 一然. “新羅 始祖 赫居世王”. 三國遺事 卷第一. 국사편찬위원회. https://db.history.go.kr/item/oldBookViewer.do?levelId=sy_001_0020_0190_0060 2023年5月20日閲覧。 
  13. ^ 新羅史研究会 (1999)、147-148頁
  14. ^ 封土”. コトバンク. 精選版 日本国語大辞典. 2023年5月20日閲覧。
  15. ^ 秦 (1973)、46・51頁

参考文献

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  • 関野貞慶州に於ける新羅時代の遺蹟」『朝鮮の建築と芸術岩波書店〈国立国会図書館デジタルコレクション〉、1941年、651-696頁。doi:10.11501/1871937https://dl.ndl.go.jp/pid/1871937/1/3482023年5月20日閲覧 
  • 秦弘燮『慶州文化財散歩』學生社、1973年。 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0 
  • 新羅史研究会「『三国遺事』訳註(六)」『朝鮮文化研究』第6巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室、1999年3月10日、41-51頁、doi:10.15083/00020030812023年5月20日閲覧 
  • 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 編『歴史探訪 韓国の文化遺産 下 慶州・釜山』山川出版社、2016年。ISBN 978-4-634-15088-1 

関連項目

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外部リンク

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