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五島市立福江小学校

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五島市立福江小学校

正門(2015年4月撮影)
地図北緯32度41分34秒 東経128度50分33秒 / 北緯32.692811度 東経128.842372度 / 32.692811; 128.842372座標: 北緯32度41分34秒 東経128度50分33秒 / 北緯32.692811度 東経128.842372度 / 32.692811; 128.842372
過去の名称 福江小学校
第五大学区第五中学区福江小学校
福江学区公立中等福江小学校
福江学区尋常福江小学校
福江村立福江尋常小学校
福江村立福江尋常高等小学校
福江町立福江尋常高等小学校
福江町国民学校
福江町立福江小学校
福江市立福江小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 五島市
併合学校 公立中等福江小学校柳川分校
大津尋常小学校
福江尋常小学校大津分教場
福江高等小学校
福江女児尋常高等小学校
福江市立福江小学校篭渕分校
福江市立赤島小学校
福江市立福江小学校赤島分校
福江市立黄島小学校
五島市立福江小学校黄島分校
五島市立椛島小学校
五島市立崎山小学校
設立年月日 1873年明治6年)9月9日
9月9日
共学・別学 男女共学
分校 椛島分校
学期 3学期制
学校コード B142210000965 ウィキデータを編集
所在地 853-0003
長崎県五島市錦町1番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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校舎遠景(2015年4月撮影)

五島市立福江小学校(ごとうしりつ ふくえしょうがっこう, Goto City Fukue Elementary School)は、長崎県五島市錦町にある公立小学校。略称は「福小」(ふくしょう)。

概要

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歴史
1873年明治6年)に開校した「福江小学校」を前身とする。2008年平成20年)に創立135周年を迎えた。
校章
花弁の絵を背景にして、中央に校名の「福小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は豊田亨、作曲は原格太郎による。歌詞は2番まであり、歌詞に校名は登場しない。
校区
住所表記で五島市の後に「下大津町、上大津町、三尾野町、三尾野一~三丁目、坂の上一丁目、大円寺町、福江町、東浜町一~三丁目、紺屋町、武家屋敷一~三丁目、池田町、新港町、江川町、栄町、中央町、末広町、幸町、錦町、松山町、大荒町、木場町、黄島町、赤島町、下崎山町、上崎山町、向町、長手町」が続く地区。
中学校区は五島市立福江中学校[1]

沿革

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前史(藩校)
  • 1780年安永9年)- 福江藩第8代藩主(五島家第28代当主)五島盛運の命により、長門藩儒者であった永富数馬を招聘し、儒学の教授を開始。
    • 当初の校舎は民家を借用したものであった。
  • 1782年天明2年)- 石田城内に校舎を建設し移転。「稽古所」と命名。
  • 1816年文化13年)頃 - 「至善堂」に改称。
  • 1821年文政4年)
    • 福江藩第9代藩主(五島家第29代当主)五島盛繁の命により、福江郷字東町20・21・22番地の一部に聖廟を建設。同時に校舎を新築の上、演武場を併設させ校地の規模を拡大し、校名を「育英館」に改称。
  • 1869年(明治2年)- 寄宿舎を建設。
  • 1870年(明治3年)2月21日 - 福江藩学則改正により、五島列島6ヶ所に郷校を設置[2]
  • 1871年(明治4年)- 育英館校舎・演武場を焼失し、城内軍務局を学舎として移転するも廃藩置県により廃止。
正史
  • 1872年(明治5年)- 学制公布される。
  • 1873年(明治6年)9月9日 - 城内軍務局(旧・育英館)を校舎として「福江小学校」が開校。
  • 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区第五中学区[3]福江小学校」として文部省に正式に認可される。
  • 1875年(明治8年)
    • 6月 - 城内から現在地に移転。
    • 11月 - 5分校(萬歳・栁川・大津・大濵・戸岐)を設置。
  • 1876年(明治9年)- 航東分校を増設。
  • 1880年(明治13年)- 大濵分校が分離し大濵小学校として独立。戸岐分校を奥浦小学校に移管。
  • 1882年(明治15年)4月 - 篭渕分校を設置。
  • 1883年(明治16年)1月 - 「福江学区公立中等福江小学校」に改称。4分校をそれぞれ「下等分校」に改称。
  • 1885年(明治18年)11月 - 萬歳・航東分校を廃止し、篭渕・大津・柳川の3校に統合。中等福江小学校の中に中等福江女児小学校が開校。(男女別学)
  • 1886年(明治19年)
    • 2月 - 福江本町に女児小学校の新校舎が完成し移転。
    • 8月
      • 小学校令施行により尋常科(4年)を設置の上「福江学区尋常福江小学校」に改称。
      • 柳川分校を廃止。
      • 篭渕・大津分校をそれぞれ簡易小学校として分離。
      • 第十八高等小学校[4]、第十八高等女児小学校が開校。
  • 1887年(明治20年)8月 - 尋常女児小学校が福江尋常小学校内に移転。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により南松浦郡福江村が発足し、福江村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)9月 - 尋常福江女児小学校を統合し、「福江村立福江尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)(男女共学)。
  • 1893年(明治26年)
    • 7月 - 第十八高等小学校が廃止される。
    • 11月 - 五ヶ村[5]組合立福江高等小学校が開校。
  • 1898年(明治31年)1月 - 校舎を増築し、尋常小学校校地に高等小学校が移転。
  • 1902年(明治35年)
    • 5月 - 大津尋常小学校(かつての大津分校)を統合し、大津分教場とする。
    • 12月1日 - 福江女児尋常高等小学校が開校し、福江尋常小学校・福江高等小学校から女児を分離・収容される。(再び男女別学)
  • 1905年(明治38年)4月 - 大津分教場を廃止し、本校に統合。
  • 1907年(明治40年)4月
    • 福江尋常小学校と福江高等小学校が統合され、「福江尋常高等小学校」となる。
    • 旧・第十八高等小学校の校舎に福江女児尋常高等小学校が移転。
    • 移転後の旧・女児尋常高等小学校の校舎は福江尋常高等小学校の校舎となる。
  • 1908年(明治41年)4月 - 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。これに伴い、従来の尋常科4年・高等科4年が尋常科6年・高等科2年に改められる。
  • 1910年(明治43年)6月 - 福江大火により女児尋常高等小学校の校舎に罹災者が収容され、救護活動が行われる。
  • 1915年大正4年)4月 - 1911年(明治44年)に廃止された篭渕尋常小学校(かつての分校)跡地に篭渕分教場を再設置。
  • 1919年(大正8年)10月1日 - 福江村が町制施行により、福江町となる。
  • 1924年(大正13年)1月 - 校旗を制定。
  • 1929年(昭和4年)5月 - 校舎を改築。
  • 1931年(昭和6年)4月 - 福江女児尋常高等小学校を統合。(再び男女共学)本校校舎を第一校舎、旧・女児校校舎を第二校舎とする。
  • 1932年(昭和7年)
    • 4月1日 - 校歌を制定。
    • 11月 - 校地を拡張。
  • 1933年(昭和8年)4月 - 第二校舎校舎より移築の2棟が完成。
  • 1935年(昭和10年)3月 - 福江幼稚園を併設。
  • 1939年(昭和14年)12月 - 2階建て8教室が完成。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により「福江町国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
      • 旧・福江国民学校の初等科が改組され、「福江町立福江小学校」となる。篭渕分教場を篭渕分校とする。
      • 旧・福江国民学校の高等科が改組され、福江町立福江中学校新制中学校)となり、当初小学校に併設される。
    • 9月 - 粉乳給食を開始。
  • 1948年(昭和23年)- 福江小学校第二校舎9教室を福江中学校に貸与。
  • 1949年(昭和24年)2月5日 - PTAを結成。
  • 1951年(昭和26年)1月 - 福江中学校が移転し、貸与を終了。
  • 1953年(昭和28年)12月 - 長崎県立五島高等学校併設の長崎県教員養成所五島教室の第1回教育実習が行われる。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 町制合併・市制施行により、「福江市立福江小学校」に改称。
  • 1956年(昭和31年)11月1日 - 篭渕分校を廃止し、本校へ統合。第二校舎の使用を再開し、500名の児童を移す。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 第二校舎を緑丘分校とする。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 緑丘分校が分離し、福江市立緑丘小学校として独立。
  • 1959年(昭和34年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟9教室(第一期工事)が完成。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟9教室(第二期工事)が完成。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟6教室(第三期工事)が完成。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月 - へき地集会所(体育館)が完成。鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟6教室(第四期工事)が完成。
    • 9月26日 - 午前2時から午前8時までの間、福江市中心街で大火が発生。
      • この大火により、校舎の一部を公立病院、税務署自衛隊官舎に貸与。また体育館が福江市役所仮庁舎となる。
  • 1963年(昭和38年)7月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟6教室(第五期工事)が完成。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎1棟9教室(第六期工事)が完成。
    • 5月 - グラウンドを拡張。
    • 7月 - 福江市役所新庁舎が完成し、体育館の貸与を終了。
  • 1966年(昭和41年)9月 - 生乳給食を開始。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 福江市立赤島小学校[6]を統合し、赤島分校とする。
  • 1968年(昭和43年)12月 - 鉄筋コンクリート造3階建て特別教室棟(9教室)が完成。
  • 1969年(昭和44年)10月 - 皇太子皇太子妃が来校。
  • 1972年(昭和47年)1月 - 福江小学校放送局を設立。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月 - 創立100周年記念碑を建立。育英館(藩校)碑を移転。
    • 3月31日 - 赤島分校を廃止し、本校へ統合。
    • 5月 - 記念植樹を実施。100周年期成会の寄贈により校旗を新調。記念大運動会を実施。
    • 9月4日・5日 - オリンピック選手体操演技会を実施。
    • 9月9日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 100周年記念資料カプセルを埋蔵。
  • 1988年(昭和63年)
    • 2月 - 校舎大規模改修を完了。
    • 6月 - プールが完成。
  • 1991年(平成3年)
    • 7月 - センター方式による完全給食を開始。
    • 8月 - 給食リフトが完成。
  • 2000年(平成12年)4月1日 - 福江市立黄島小学校を統合し、黄島分校(休校)とする。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併により、「五島市立福江小学校」(現校名)へ改称。
  • 2011年(平成23年)
  • 2015年(平成27年)
    • 1月8日 - 新校舎が完成し、オープニングセレモニーを開催。
    • 4月1日 - 併設の長崎県立鶴南特別支援学校小・中学部五島分教室が「長崎県立鶴南特別支援学校五島分校」(小・中学部)に改称。
  • 2018年(平成30年)4月1日 - 五島市立椛島小学校を統合の上、椛島分校とする[7]
  • 2024年(令和6年)4月1日 - 五島市立崎山小学校を統合。

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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参考資料

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  • 「福江市史 上巻」(1995年(平成7年)3月31日, 福江市)第3編 教育・文化、第2章 学校教育、第2節 学校の沿革と現況 p. 350 ~ p. 359

脚注

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  1. ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
  2. ^ 第一郷校「禎祥堂」(岐宿)、第二郷校「温古堂」(三井楽)、第三郷校「鏡古堂」(玉之浦)、第四郷校「修齊堂」(有川)、第五郷校「直方齊」(若松)、第六郷校「率由軒」(宇久島
  3. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区(壱岐対馬を含む)、旧福江藩が第五中学区。
  4. ^ この時、長崎県内各地に高等小学校が設置された。例えば壱岐には第十七高等小学校、対馬厳原には第二十番高等小学校が設置された。
  5. ^ 南松浦郡の5村。福江村・奥浦村・崎山村・本山村・大濵村。
  6. ^ 1874年(明治7年)に「第五大学区第五中学区崎山小学校赤島分校」として開校。1885年(明治18年)「福江学区公立中等崎山小学校下等赤島分校」、1886年(明治19年)「崎山学区簡易赤島小学校」、1892年(明治25年)「赤島尋常小学校」、1941年(昭和16年)「崎山村立赤島国民学校」、1947年(昭和22年)崎山村立赤島小学校、1954年(昭和29年)福江市立赤島小学校。
  7. ^ 平成30年3月定例教育委員会資料 (PDF) - 長崎県教育委員会ウェブサイト

関連項目

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外部リンク

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