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五島市立川原小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五島市立川原小学校
正門付近より本校舎および校歌碑文
(2019年12月5日撮影)。
地図北緯32度44分13秒 東経128度43分35秒 / 北緯32.737度 東経128.726444度 / 32.737; 128.726444座標: 北緯32度44分13秒 東経128度43分35秒 / 北緯32.737度 東経128.726444度 / 32.737; 128.726444
過去の名称 第五大学区第五中学区川原小学校
岐宿部川原小学校
岐宿学区公立下等川原小学校
岐宿学区公立中等川原小学校
尋常川原小学校
川原尋常小学校
川原尋常高等小学校
岐宿第二国民学校
岐宿町立川原小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 五島市
併合学校 楠原尋常小学校
設立年月日 1877年明治10年)10月5日
閉校年月日 2017年(平成29年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 853-0702
長崎県五島市岐宿町川原2370番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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五島市立川原小学校(ごとうしりつ かわらしょうがっこう)は、長崎県五島市岐宿町川原にあった公立小学校。略称「川小」。

概要

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歴史
1877年明治10年)創立。2012年平成24年)に創立135周年を迎えた。
学校教育目標
「たくましい体と豊かな心を持ち、進んで学ぶタフな子どもの育成」
校章
左右の稲穂の根元をリボンで結んだものを背景にして、中央に校名の「川小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は横尾撰一、作曲は中澤豊による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「川原校」が登場する。
校区
住所表記で五島市岐宿町の後に「川原、楠原(西)」が続く地区。
中学校区は五島市立岐宿中学校[1]

沿革

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  • 1877年(明治10年)10月5日 - 岐宿村川原郷字渕ノ元に「第五大学区 第五中学区[2]川原小学校」が開校。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
    • 12月24日 - 学区改正により、「岐宿部 川原小学校」に改称[3]
  • 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「岐宿学区 公立下等川原小学校」に改称。
  • 1882年(明治15年)- 中等科を設置し「岐宿学区 公立中等川原小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「尋常川原小学校」に改称(尋常科4年)。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岐宿村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)4月 - 「川原尋常小学校」に改称。
  • 1905年(明治38年)4月 - 楠原尋常小学校を統合。新校舎が完成。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1913年(大正2年)- 川原実業補習学校を併設。
  • 1919年(大正8年)4月1日 - 高等科を併置し「川原尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令により、併設の川原実業補習学校が「岐宿青年学校」となる。
  • 1937年(昭和12年)- 岐宿村内の青年学校が統合され、岐宿青年学校として楠原に移転。小学校との併設を解消。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月1日 - 国民学校令の施行により、「岐宿第二国民学校[4]」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
    • 4月3日 - 岐宿町の発足により、岐宿町立の学校となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「岐宿町立川原小学校」となる。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、新制中学校「岐宿町立川原中学校[5]」が発足。当初小学校に併設される。
  • 1954年(昭和29年)- 運動場を拡張。
  • 1956年(昭和31年)- へき地集会室が完成。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 校区の改定により、東楠原地区一部の児童が岐宿小学校に転出。
  • 1962年(昭和37年)- 岐宿町川原郷松原2370番地(現在地)に鉄筋コンクリート造校舎(第一期工事)が完成。
  • 1963年(昭和38年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第二期工事)が完成。中学校との併設を解消。
  • 1965年(昭和40年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第三期工事)が完成。
  • 1972年(昭和47年)- 体育館が完成。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 校区の改定により、東楠原地区すべての児童が岐宿小学校に転出。
  • 1977年(昭和52年)- 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1986年(昭和61年)- 体育館を増築。
  • 1987年(昭和62年)- 完全給食を開始。
  • 1989年(平成元年)- プールが完成。
  • 1999年(平成11年)- パソコンを設置。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立川原小学校」(現校名)へ改称。
  • 2017年(平成29年)
    • 2月19日 - 閉校記念式典を挙行。
    • 4月1日 - 岐宿地区の小学校3校(岐宿・川原・山内)が統合された。校地と校舎は楠原に新設される[6]

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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参考資料

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  • 「岐宿町郷土誌」(2001年(平成13年)3月31日, 岐宿町)p. 589 -

脚注

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  1. ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
  2. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区となった。壱岐対馬は第四中学区に属した。
  3. ^ この時、旧第五中学区は笛吹部・有川部・福江部・岐宿部の4部に分けられた。(参考:長崎県教育史(上巻)p.443」)
  4. ^ この時岐宿尋常高等小学校が「岐宿第一国民学校」、山内尋常高等小学校が「岐宿第三国民学校」となった。
  5. ^ 1977年(昭和52年)4月に岐宿町立中学校3校(岐宿・川原・山内)が統合され岐宿町立岐宿中学校となった。
  6. ^ 学校紹介 - 五島市立川原小学校ウェブサイト

関連項目

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外部リンク

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