五島市立岐宿小学校
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五島市立岐宿小学校 | |
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北緯32度45分14秒 東経128度45分38秒 / 北緯32.753833度 東経128.760528度座標: 北緯32度45分14秒 東経128度45分38秒 / 北緯32.753833度 東経128.760528度 | |
過去の名称 |
第五大学区第五中学区岐宿小学校 岐宿部岐宿小学校 岐宿学区公立下等岐宿小学校 岐宿学区公立中等岐宿小学校 尋常岐宿小学校 岐宿尋常小学校 岐宿尋常高等小学校 岐宿第一国民学校 岐宿町立岐宿小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
岐宿町立岐宿小学校姫島分校 岐宿町立旭小学校(分校化) 五島市立岐宿小学校旭分校 五島市立川原小学校 五島市立山内小学校 |
校訓 | 自立・創造 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)9月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210003187 |
所在地 | 〒853-0701 |
長崎県五島市岐宿町岐宿2404番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立岐宿小学校(ごとうしりつ きしくしょうがっこう)は、長崎県五島市岐宿町岐宿にある公立小学校。
概要
[編集]- 校訓
- 「自立・創造」
- 学校教育目標
- 「自ら学び、心を動かし、体を鍛え、生きる力の基礎を築く児童の育成」
- 校章
- 左右の稲穂の根元をリボンで結んだものを背景にして、中央に校名の「岐宿」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 歌詞は2番まであり、1番に校名の「岐宿校」が登場する。
沿革
[編集]- 前史
- 正史
- 1874年(明治7年)9月10日[2] - 金福寺を仮校舎として「第五大学区 第五中学区[3]岐宿小学校」が開校。初代校長に貞方貫之助が就任。
- 1876年(明治9年)- 江湖の辻に校舎が完成し移転。
- 1878年(明治11年)- 郡制の実施により、松浦郡が4分割され、五島列島部分(宇久・小値賀を除く)は南松浦郡に属することとなる。
- 1880年(明治13年)- 教育令の施行により「岐宿学区 公立下等岐宿小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)- 中等科を設置し「岐宿学区 公立中等岐宿小学校」に改称。
- この年 - 暴風により校舎が倒壊し、厳立神社を仮校舎として授業を再開。
- 1883年(明治16年)- 新校舎が完成。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行され、「尋常岐宿小学校」となる。修業年限を4年とする。福江村に長崎県第十八高等小学校が設置される。
- 1899年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、岐宿村立の小学校となる。
- この年 - 姫島と唐船之浦(とうせんのうら)にそれぞれ分校を設置。
- 1893年(明治26年)
- 7月 - 長崎県第十八高等小学校が廃止され、隣村と組合を結成し高等小学校を設置。
- 4月 - 小学校令の改正により「岐宿尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1898年(明治31年)4月 - 高等小学校の組合を解消し、高等科を併置の上「岐宿尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
- 1901年(明治34年) - 校舎を新築。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 修業年限が尋常科4年・高等科4年から「尋常科6年・高等科2年」に変更となる。
- 旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科2年に、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
- 1913年(大正2年)- 岐宿実業補習学校を併設。
- 1915年(大正4年)- 校舎を増築。
- 1918年(大正7年)- 唐船之浦分教場がへき地に指定される。校舎を増築し、二部授業を解消。この年の児童数は497名。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令により、併設の岐宿実業補習学校が「岐宿青年学校」に改称。
- 1937年(昭和12年)- 岐宿村内の青年学校が統合され、岐宿青年学校として楠原に移転。小学校との併設を解消。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 唐船之浦分校が分離し、「岐宿町立旭小学校」として独立。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 校区改定により東楠原の一部の児童が川原小学校から転入。児童数が最大の586名を記録。
- この年 - 小中へき地集会所(体育館)が完成。
- 1961年(昭和36年)- 鼓笛隊を結成。
- 1963年(昭和38年)- ミルク給食を開始。
- 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第一期工事)が完成。4・5・6年生が新校舎での授業を開始。
- 1965年(昭和40年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第二期工事)が完了。1・2・3年生が新校舎での授業を開始。特殊学級を開設。
- 1966年(昭和41年)- 鉄筋コンクリート造校舎(第三期工事)が完了。
- 1967年(昭和42年)- 給食調理室が完成。学校前に簡易交通信号機を設置。
- 3月31日 - 姫島分校を休校とする。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 休校中の姫島分校(北緯32度48分22.3秒 東経128度40分41.8秒 / 北緯32.806194度 東経128.678278度)を廃止[6]。
- 1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 校区改定により東楠原全域の児童が川原小学校から転入。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 岐宿町立中学校3校[7]の統合により、岐宿中学校との併設を解消。中学校校舎を解体。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 岐宿町立旭小学校を統合し、旭分校とする。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 旭分校を休校とする。
- 1987年(昭和62年)- 完全給食を開始。
- 1990年(平成2年)- 江湖の子農園が開園。
- 1991年(平成3年)- 台風により被害を受ける。
- 1993年(平成5年)- 長崎市立磨屋小学校とふれあい交流学習を実施。
- 1994年(平成6年)- 創立120周年を記念してブロンズ像「巣立ち」が完成。水洗トイレ工事が完了。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 特殊学級を設置。
- 1999年(平成11年)- パソコンを設置。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併で五島市が発足したことにより、「五島市立岐宿小学校」(現校名)へ改称。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 休校中であった旭分校(唐船ノ浦483番地、北緯32度45分32.9秒 東経128度47分50.1秒)を廃止。
- 2017年(平成29年)
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「岐宿」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「岐宿町郷土誌」(2001年(平成13年)3月31日, 岐宿町)p. 584 -
脚注
[編集]- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
- ^ 「長崎県教育史(上巻)p.559」によると「岐宿小学校」は1874年(明治7年)12月設立認可と記されている。
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五中学区となった。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ この時、旧第五中学区は笛吹部・有川部・福江部・岐宿部の4部に分けられた。(参考:長崎県教育史(上巻)p.443」)
- ^ この時川原尋常高等小学校が「岐宿第二国民学校」、山内尋常高等小学校が「岐宿第三国民学校」となった。
- ^ 1965年(昭和40年)末に姫島は無人島となっていた。
- ^ 岐宿中学校・川原中学校・山内中学校の3校。それぞれ小学校に併設の形をとっていたが、統合により校名は「岐宿中学校」となり、校地・校舎は楠原郷544番地に新設された。
- ^ 学校紹介 - 五島市立川原小学校ウェブサイト