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乾国雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
乾 国雄
基本情報
出身地 日本の旗 日本 大阪府 大阪狭山市
生年月日 (1923-03-18) 1923年3月18日
身長
体重
168 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手
プロ入り 1942年
初出場 1942年
最終出場 1947年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

乾 国雄(いぬい くにお、1923年3月18日 - 没年不明)は兵庫県芦屋市生まれ大阪府大阪狭山市育ちの元プロ野球選手

来歴・人物

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1942年に京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)から、阪神に入団[1]。2年目の1943年には62試合に出場した。1944年から登録が無く、1946年に阪神に復帰するも翌1947年シーズン前に退団し、新たに創設された国民野球連盟大塚アスレチックスに参加した[1]。1950年には、古沢建設から栃木県代表として都市対抗野球に出場し、2年後には明利酒類から同県代表としてサンベツに出場した。

2024年のドラフト会議オリックス・バファローズから育成6巡目指名を受けた乾健斗は孫にあたる[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1942 阪神 34 71 53 2 8 1 0 0 9 0 2 0 3 -- 15 -- 0 14 -- .151 .338 .170 .508
1943 62 168 137 8 24 4 0 1 31 7 3 4 6 -- 25 -- 0 42 -- .175 .302 .226 .529
1946 40 81 67 9 12 2 0 1 17 2 1 0 0 -- 13 -- 1 17 -- .179 .321 .254 .575
通算:3年 136 320 257 19 44 7 0 2 57 9 6 4 9 -- 53 -- 1 73 -- .171 .315 .222 .537

背番号

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  • 2 (1942年 - 1943年)
  • 1 (1946年)
  • 5 (1947年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、59ページ
  2. ^ 【甲子園】霞ケ浦、聖地4度目で初白星目指す「なんとか1勝」初戦の智弁和歌山戦へ着々と調整”. 2024年10月26日閲覧。

外部リンク

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