九町
表示
九町 | |
---|---|
大字 | |
北緯33度28分34.19秒 東経132度18分36.03秒 / 北緯33.4761639度 東経132.3100083度座標: 北緯33度28分34.19秒 東経132度18分36.03秒 / 北緯33.4761639度 東経132.3100083度 | |
座標位置:町見公民館付近 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 西宇和郡 |
市町村 | 伊方町 |
人口情報(2020年10月1日) | |
人口 | 723 人 |
世帯数 | 358 世帯 |
標高 町見公民館付近 | 5 m |
郵便番号 | 796-0421 |
市外局番 | 0894 |
小学校区 | 伊方町立九町小学校 |
中学校区 | 伊方町立伊方中学校 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 愛媛県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
九町(くちょう)は、愛媛県西宇和郡伊方町の字。郵便番号は796-0421。佐田岬半島中央部に位置する[1]。
歴史
[編集]1889年(明治22年)から現在の大字名・字名である[1]。町見村役場が置かれた[1]。はじめ町見村の大字で、1955年(昭和30年)からは伊方町の現行字名である[1]。1889年(明治22年)、九町巡査屯所、1903年(明治36年)、九町漁業組合と九町郵便局がそれぞれ設置された[1]。伊方町の成立により旧村役場は、伊方町役場町見支所となる[1]。
行政
[編集]- 伊方町役場 町見出張所
経済
[編集]産業
[編集]- 店・企業
- 伊方サービス
- 伊方石油 九町店
- 井上建設
- 菊池味噌製造所
- 三愛テック 伊方事業所
- 四国電力 伊方発電所 - 1977年、九町越地区にて1号炉が運転を開始した[1]。
- 東洋バルブ製造所
- 得能工業
- 得能商店(食料品、雑貨)
- 浪下建設
- 浪下重工
- 西日本塗装工業伊方営業所
- 日翔工業
- 二宮たたみ店
- 根来鮮魚店
- 町見郵便局(日本郵政グループ)
- 道の駅伊方きらら館
- 三菱電機 伊方定検作業所
- 渡辺喜商店(食料品、日用雑貨)
- 山九 伊方事業所
- 農業・商工業
- ホテル・旅館
地域
[編集]相談
[編集]- 山口司法書士事務所
教育
[編集]- 九町小学校
施設
[編集]- 宗教
- 敷地神社
- 得能神社
- 九町八幡神社
- 寄木神社
- 三宝寺
- 天徳寺(臨済宗妙心寺派)
医療
[編集]- 医師
旧家
[編集]- 得能彌三郎[2] - 1896年戸主となる[2]。庄蔵の二男[2]。初代半兵衛は延宝4年に没した[2]。村会議員、寺総代などをつとめた
- 得能長三郎[2] - 1876年出生[2]。得能長三郎家は得能彌三郎の祖先を本家とし、その分家である[2]。家は農を専業とする[2]。寺総代をつとめた[2]。
- 中嶋久太郎[2] - 1892年出生[2]。先代宇平の長男で、11代目である[2]。村会議員をつとめた[2]。
名所・旧跡
[編集]- 鷹神氏種族累代古墳墓[3] - 藤井克修「所謂少数部落の先祖に就て」によると「向部落に居る人々は須賀のスキザキに現存する墓碑「鷹神氏種族累代古墳墓」と読まれるその鷹神氏を自らの先祖と信じている[3]。鷹神氏の直系の子孫と称するは今、「浪下氏」を称して他の部落の人は向に移って居るが、ただ一戸須賀のスキザキに住して墓標を守っている[3]。墓標には「鷹神氏種族累代古墳墓」の他に一面には鷹神氏の由来を示している[3]。それによると鷹神氏は京都の北面の隠士である事、この地に漂着した事、この地を永住の地と定めた事は分かっているが、それが何時の時代の事かは明らかにされていない[3]。この墓標の文の終わりに文とは何らの関係なしに、だしぬけに「これ我等の先祖なり浪下吉蔵建」と記されてあるが、これでは一つも鷹神氏と浪下の関係は明らかにされていない[3]。しかし浪下は、この墓標を証拠として以て我等の先祖なることを主張している[3]。」という。
- 得能主膳ゆかりの地(町指定史跡) - 1966年3月26日指定[4]。指定戦国期の九町・二見浦の在地領主得能主膳伝説の地である[4]。主膳を祀る得能森、所持品が埋まる沖の城、墓とされる梵田の3ヶ所である[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『愛媛県人物名鑑 第3輯』海南新聞社、1923-1924年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』角川書店、1981年。
- 高市光男『続・愛媛部落史資料』近代史文庫大阪研究会、1983年。