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九条兼良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
九条兼良
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代末期
生誕 仁安2年(1167年
死没 承久3年1月3日1221年1月27日
官位 従五位上、正五位下、侍従兼右近衛少将、従四位上、近江介、右近衛中将、正四位下、中宮権亮、従三位正三位従二位、権中納言、中宮大夫、正二位、権大納言、大納言
氏族 藤原北家兼房流九条家
父母 父:藤原兼房、母:藤原隆季の娘
兄弟 兼良、道誉、兼円、道祐、方丈殿
兼長、道性、良覚、後堀河院典侍新大納言、二条良実
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九条 兼良(くじょう かねよし)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿藤原兼房九条兼実の弟)の子で、兼房流九条家の祖。

概要

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承安5年(1175年4月7日、伯父松殿基房猶子として元服従五位上に叙せられる。治承2年(1178年)に正五位下となる。文治2年(1186年)に侍従右近衛少将となり、翌年には正四位下に進んで近江介を兼ねる。

以後、伯父である九条兼実の庇護の下で順調に昇進し、文治4年(1188年)に右近衛中将に昇進し、翌年には従四位上続いて正四位下に叙せられ、建久元年(1190年)に中宮権亮を兼務して同年6月19日従三位に叙せられる。

建久4年(1193年)に正三位、建久9年(1198年)に従二位に進む。正治元年(1199年)に右近衛中将を辞任して権中納言に任じられ、翌年には中宮大夫を兼務する。

建仁2年(1202年)に正二位大納言となる。元久2年(1205年)に大納言に転じ、建暦元年(1211年)まで務めた。

承久2年(1220年)に出家して、翌年に55歳で薨去した。