乙部八兵衛
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乙部 八兵衛(おとべはちべえ、生没年不詳)は、戦国時代(室町時代)の武将。
三河一向一揆の際には、徳川家康に内通し、夏目吉信らの守る野場城(六栗城という説も)を陥落させる。
生涯
[編集]生い立ち
[編集]乙部八兵衛は1533年頃生まれたとされている。第二次小豆坂の戦い(1548年)で父を亡くす。
その後若くして徳川家足軽(旗指足軽?)となる。
戦での活躍
[編集]父を亡くしてから八兵衛は戦で武功を上げ続けた。初陣は三河一向一揆時であると言われている。三河一向一揆の際は敵に内通し、夏目吉信らが守る野場城 (六栗城という説も) を陥落させる。
1570年の姉川の戦いでは敵兵28人を討ち取る武功を上げた。伊賀越のときは家康とともに三河まで撤退、その時は家康を本多忠勝らとともに守り続けた。1584年に足軽大将となる。1600年の関ヶ原の戦いで徳川秀忠の第二次上田合戦に従軍。
晩年
[編集]晩年は隠居し、駿府にて最期を迎えたと言われている。享年63といわれている。
人物像
[編集]「八兵衛は常にニコニコしていたが、悪賢かった」と酒井忠次が語っている。