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久松土岐太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久松 土岐太郎(ひさまつ ときたろう、生没年不詳)は、江戸時代長崎の地役人、砲術家長崎町年寄久松家の当主には土岐太郎を名乗る者は、他に初代土岐太郎忠真と7代目土岐太郎忠誨(久松寬三郞)がいるが、この項では主に久松家(分家)6代目土岐太郎忠功について扱う。

土岐太郎忠功

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号は適斎[1]。寬三郞、忠功。高島秋帆の次男[2][3][4]で、長崎の町年寄の久松家の当主。高島浅五郎(高島秋帆の長男)の弟で、久松碩次郎(高島秋帆の次兄)の甥。

高島流砲術、および荻野流砲術を修める[2][3]。長崎の遠見番[5]の白江竜吉[6]に砲術を教えており[7]、長崎砲術の中興といわれるが、高島秋帆の疑獄事件により高島流砲術は一時中絶する[2][3]

『日本人名大事典』第5巻[3]および『評伝 高島秋帆』[8]、『高島秋帆 人物叢書』[1]では久松家の跡を継いだとあるが、忠功が当主となったのは、分家の久松土岐太郎家である[9]

略歴

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天保9年(1838年)6月、町年寄見習となる[9]

弘化4年(1847年)6月、長崎町年寄に就任[3][4][9]

嘉永元年(1848年)正月、官命により長崎の地役人に荻野流砲術を教える[2][3]

嘉永6年3月(1853年)、長崎会所調役に就任[3]

安政4年(1857年)9月、病気により職を辞する[3][4][9]

脚注

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  1. ^ a b 有馬成甫著 『高島秋帆 人物叢書』 吉川弘文館、212頁。
  2. ^ a b c d 「久松土岐太郎」『日本人名大辞典』 講談社、1557頁。
  3. ^ a b c d e f g h 「久松土岐太郎」『日本人名大事典』 平凡社、241頁。
  4. ^ a b c 江越弘人著 『トピックスで読む 長崎の歴史』弦書房、242頁。
  5. ^ 長崎周辺に来航する外国船を見張る地役人。
  6. ^ 幕末に長崎奉行の内命を受けて小銃隊を組織して指導に当たり、明治維新では振遠隊の軍監として、奥州各地を転戦する。
  7. ^ 簱先好紀著 『天領長崎秘録』長崎文献社、221頁。
  8. ^ 石山滋夫著 『評伝 高島秋帆』 葦書房、380-381頁。
  9. ^ a b c d 簱先好紀著 『長崎地役人総覧』 長崎文献社、48頁。

参考文献

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