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久喜市立江面第一小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久喜市立江面第一小学校(くきしりつ えづらだいいちしょうがっこう)は、かつて埼玉県久喜市北青柳にあった公立小学校。学校周辺地域では、江一小(えいちしょう)という呼称が多く使われていた。2021年令和3年)3月31日に閉校。翌4月1日久喜市立江面第二小学校と統合し、本校の位置に久喜市立江面小学校が開校した[1][2]

沿革

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本節の出典(特記以外)…[3][4]

  • 1872年明治5年) - 学制発布にあたり、9区18町村で久喜学校を設立。
  • 1873年(明治6年) - 江面学校(江面村、所久喜村、上早見村)を宝光院に、下早見学校(下早見村、北青柳村、太田袋村、高岩村)を大聖院に開校。
  • 1889年(明治22年)5月 - 町村制施行に伴い、龍猪学校を設け、大字江面、大字北青柳、大字下早見、大字太田袋を学区として本校を聖院に設け、大字樋ノ口、大字原、大字除堀を学区として東雲院に分教室を設ける。
  • 1892年(明治25年) - 龍猪学校を江面第一尋常小学校に、分教室を江面第二尋常小学校にそれぞれ改称し、独立する。
  • 1909年(明治42年)12月12日 - 島田剛太郎知事を招き開校式を行う。この日を開校記念日とする。
  • 1912年(明治45年) - 江面第一尋常小学校と江面第二尋常小学校が合併し、江面尋常小学校と改称。
  • 1941年昭和16年) - 校名を江面国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年) - 校名を江面村立江面小学校と改称。
  • 1954年(昭和29年)
    • 5月15日 - 江面村立江面小学校分校が独立小学校として認可され、江面村立江面第二小学校(後の久喜市立江面第二小学校)として分離。分離に伴い、本校は校名を江面村立江面第一小学校と改称。
    • 7月1日 - 久喜町江面村太田村清久村が合併し、久喜町が発足。校名を久喜町立江面第一小学校と改称。
  • 1971年(昭和46年)10月 - 久喜町が市制を施行し、久喜市が発足。校名を久喜市立江面第一小学校と改称。
  • 2021年令和3年)
    • 3月4日 - 閉校式を行う[5]
    • 3月31日 - 閉校。翌4月1日に久喜市立江面第二小学校と統合し、本校の位置に久喜市立江面小学校が開校[1][2]

施設

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校歌

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交通

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脚注

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  1. ^ a b 江面第二小学校関係:久喜市ホームページ”. www.city.kuki.lg.jp. 2021年7月17日閲覧。
  2. ^ a b 久喜市立江面小学校-トップページ”. www.kuki-city.ed.jp. 2021年7月17日閲覧。
  3. ^ 久喜市立江面第一小学校-沿革”. www.kuki-city.ed.jp. 2021年7月17日閲覧。
  4. ^ 久喜市立江面第二小学校-学校概要”. www.kuki-city.ed.jp. 2021年7月17日閲覧。
  5. ^ 久喜市立江面第一小学校-閉校の式 式辞” (PDF). www.kuki-city.ed.jp. 2021年7月17日閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯36度03分22秒 東経139度40分01秒 / 北緯36.056139度 東経139.666861度 / 36.056139; 139.666861