久保市三郎
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久保 市三郎 くぼ いちさぶろう | |
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久保市三郎 | |
生年月日 | 1867年8月9日(慶応3年7月10日) |
出生地 | 武蔵国三田ヶ谷村 |
没年月日 | 1956年3月1日 |
出身校 | 慶應義塾大学部理財科 |
前職 | 銀行員 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 従四位 |
選挙区 | 多額納税者議員(栃木県) |
在任期間 |
1907年10月4日 - 1911年9月28日 1932年9月29日 - 1939年9月28日 |
久保 市三郎(くぼ いちさぶろう、1867年8月9日(慶応3年7月10日)[1] - 1956年(昭和31年)3月1日)は、明治時代から昭和時代の実業家・政治家。旧姓、小沢。
経歴
[編集]武蔵国三田ヶ谷村(現・埼玉県羽生市)生まれ[2]。上京後明治義塾(三菱商業学校)、慶應義塾大学部理財科で学ぶ(1893年卒)[2]。
耕余義塾で教員になり、日本銀行を経て森林山野の開発に尽力する。福沢諭吉のすすめで栃木県真岡町の久保家の養子となり、1900年4月2日に久下田銀行(後に足利銀行へ合併)、1912年に真岡銀行(後に常陽銀行へ合併)などを創立する。
1907年(明治40年)10月4日に貴族院多額納税者議員に任命される[3]。その後、栃木県芳賀郡中村の村長、栃木県教育会長、栃木県農工銀行頭取[2]、下野新聞会長[2]を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、499-500頁 。(近代デジタルライブラリー)