久保より江
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久保より江 | |
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誕生 |
1884年9月17日 愛媛県松山市 |
死没 | 1941年5月11日 |
墓地 | 青山霊園 |
職業 | 俳人 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京府立第二高等女学校 |
代表作 | 『嫁ぬすみ』『より江句文集』 |
配偶者 | 久保猪之吉 |
久保 より江(くぼ よりえ、1884年(明治17年)9月17日 - 1941年(昭和16年)5月11日)は、日本の俳人。
人物
[編集]1884年(明治17年)、鉱山技師の父・宮本正良と母ヤスの長女として、愛媛県松山市に生まれる[1]。 1895年(明治28年)、松山時代の夏目漱石が下宿し、正岡子規が寄宿していた「愚陀仏庵」の持ち主がより江の母方の祖父・上野義方であったことから、当時12歳の少女であったより江は、若くして漱石や子規と面識を持ち、可愛がられたという[1][2]。漱石の『吾輩は猫である』に登場する女学生・雪江は、より江をモデルにしたとされる[3]。
1899年(明治32年)、上京。東京府立第二高等女学校を卒業後、医学博士の久保猪之吉と結婚し、福岡市に転居[2][4]。柳原白蓮、泉鏡花、長塚節らと交遊した[5][6]。俳句は、清原枴童、高浜虚子に師事[5][7]。のち、ホトトギス同人に推され、昭和の初めには大阪の俳句雑誌「山茶花」の婦人雑詠選者を務めた[2][6]。 1941年(昭和16年)、5月11日没。享年58。随筆集『嫁ぬすみ』、句文集『より江句文集』などの著作がある[5][6]。愛猫家として知られ、猫を詠んだ句が多い[8]。
代表句
[編集]- 猫に来る賀状や猫のくすしより
- 旅に得し消息のはし猫初産
- 泣き虫の子猫を親にもどしけり
- 猫の子のもらはれて行く袂かな
- たんぽゝを折ればうつろのひゞきかな
- 帰り来ぬ猫に春夜の灯を消さず
- 袂より比叡の薊や旅ころも
- そのかみの絵巻はいづこ濃あぢさゐ
- 籐椅子に猫が待つなる吾家かな
- ねこの眼に海の色ある小春かな
久保より江を描いた作品
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 愛媛新聞社編『愛媛県百科大事典 上巻』(愛媛新聞社,1985)
- 飯田龍太ほか編『日本名句集成』(学灯社,1992)
- 日外アソシエーツ編『詩歌人名辞典 新訂第2版』(日外アソシエーツ,2002)
- 稲畑汀子ほか監修『現代俳句大事典』(三省堂,2005)
- 坂本宮尾「この道をかくゆく ―近代女性俳人伝 (2)博多の文芸サロンの女主人 久保より江」俳壇36巻2号134-139頁,2019-2
関連文献
[編集]- 真田幸治「久保より江 小村雪岱と泉鏡花の出会いの媒介者として」Editorship 5号134-141頁,2018-03
外部リンク
[編集]- 久保より江著『嫁ぬすみ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション