丹野実
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丹野実 たんの みのる | |
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生年月日 | 1910年2月15日 |
出生地 |
日本 宮城県宮城郡塩竃町 (現宮城県塩竈市) |
没年月日 | 1976年7月2日(66歳没) |
現職 |
全国海苔増殖協会副会長 宮城県漁業協同組合会長 宮城県信用漁業協同組合連合会長 全国漁業協同組合連合会理事 関東北漁協連会長 大洋缶詰社長 日本ポゾラン会長 新東北化学社長 |
所属政党 |
(無所属→) 国民協同党 |
選挙区 | 宮城県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年4月 - 1947年3月31日 |
塩竈市会議員 |
丹野 実(實、たんの みのる、1910年(明治43年)2月15日[1] - 1976年(昭和51年)7月2日[2])は、昭和期の漁業指導者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]宮城県宮城郡塩竃町(現塩竃市)で、丹野富治郎の息子として生まれた[3]
塩竃市漁業会長、宮城県水産評議員、同食糧品統制組合理事、同粉食協会常任理事、同社会事業協会顧問、同生活協同体連合会理事などを務めた[2][3]。
政界では、塩竃市会議員、同参事会員を務めた[2][3]。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に宮城県全県区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、国民協同党政調会水産部長などを務めた[2]。
その後、全国海苔増殖協会副会長、宮城県漁業協同組合会長、同県信用漁業協同組合連合会長、全国漁業協同組合連合会理事、関東北漁協連会長、大洋缶詰社長、日本ポゾラン会長、新東北化学社長などに在任した[2]。
国政選挙歴
[編集]- 第22回衆議院議員総選挙(宮城県全県区、1946年4月、無所属)当選[4]
- 第23回衆議院議員総選挙(宮城県第1区、1947年4月、国民協同党公認)落選[5]
- 第24回衆議院議員総選挙(宮城県第1区、1949年1月、国民協同党)落選[6]
- 第25回衆議院議員総選挙(宮城県第1区、1952年10月、無所属)落選[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。