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丸山龍也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸山 龍也
名前
愛称 マル
カタカナ マルヤマリュウヤ
ラテン文字 MARUYAMA RYUYA
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1992-07-04) 1992年7月4日(32歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 174cm
体重 68kg
選手情報
ポジション FWMFDF
利き足 右足
ユース
1999 - 2005 日本の旗 横浜港北サッカークラブ
2005 - 2006 日本の旗 横浜市立中川中学校
2006 - 2007 日本の旗 FC COJBジュニアユース
2007 ブラジルの旗 クルービ・アトレチコ・ジョゼエンセ (留学)
2008 - 2010 日本の旗 FC COJB
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011 - 2012 日本の旗 アンソメット岩手・八幡平/アンソメット岩手
2013 日本の旗 ラインメール青森FC
2014 スリランカの旗 ニューヤングスFC
2015 - 2016 リトアニアの旗 FKタウラス・タウラゲ 25 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

丸山 龍也(まるやま りゅうや、1992年7月4日 - )は、神奈川県横浜市都筑区出身の元サッカー選手。ポジションはFWMFDF

来歴

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7歳の時に横浜市にある横浜港北SCでサッカーを始める。中学卒業後に神奈川県立横浜翠嵐高等学校の定時制課程へ入学し、高体連やクラブユースなど一般的な高校生が所属するクラブには属さず、午前中に社会人チームで練習して午後から通学という生活でプロサッカー選手への道を模索。その後、アルバイトでベトナムなど国内外でトライアウトを受け、高校卒業と同時に岩手県からJリーグ入りを目指していたアンソメット岩手・八幡平と契約。

しかし、2011年冬に左膝の前十字靱帯内側側副靭帯を断裂。2度の再建手術とリハビリを経て復帰したが、復帰直後に再び前十字靭帯の同箇所を断裂し、結果として3回もの手術・入院を行うこととなり、2年間の長期離脱となった。このリハビリ期間中に東北社会人サッカーリーグラインメール青森FCへ移籍を行ったが、出場記録はなかった。

2013年冬には、プロ契約を目指しタイでトライアウトを受け、複数チームから契約の話も持ち上がったが[1]、その後2014年スリランカ・チャンピオンズリーグニューヤングスFCと契約[2]

シーズン終了後、ヨーロッパにプレー機会を求め渡欧し、2015年リトアニアLFF Iリーガリトアニア語版FKタウラス・タウラゲへ移籍[3]

2017年にスペインに渡るも契約には至らず、引退した[4]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
リトアニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015[5] タウラス 3 LFF I 25 2 - - - - 25 2
通算 リトアニア LFF I 25 2 - - - - 25 2
総通算 25 2 - - - - 25 2

エピソード

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2011年8月には天皇杯全日本サッカー選手権大会の予選にあたる岩手県サッカー選手権大会決勝でグルージャ盛岡と対戦したが、3人目の交代選手として出場した約1分後に危険行為により一発退場。既に10人での戦いを強いられてたアンソメットは9人となり敗れ、天皇杯本戦出場も逃した[6]

渡欧中にセルビアで出会った代理人に詐欺を仕掛けられ、所持金を全て失ったことをブログで告白し話題になった[7]

2015年、宇都宮徹壱メールマガジン「徹マガ」アンバサダーとして就任[8]。同年、慶應義塾大学法学部を中退[9]

2018年3月19日に放送されたテレビ朝日系列「激レアさんを連れてきた。」に「国内外のあらゆるサッカーチームの入団テストに落ちまくっているけど、どうしても日本代表入りを諦めない人」として出演しメインキャストのオードリー若林正恭が「良い人生」「マルちゃんのファンになった」と絶賛した[10]

出演

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出典

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関連項目

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外部リンク

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