丸山嵯峨一郎
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丸山 嵯峨一郎(まるやま さがいちろう、慶応4年1月21日[1](1868年2月14日) - 昭和19年(1944年)2月5日)は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会→政友本党)、弁護士。
経歴
[編集]越後国魚沼郡馬場村(現在の新潟県十日町市)出身[2]。1887年(明治20年)に第一高等中学校に入学し、1891年(明治24年)に卒業[2]。同年、東京帝国大学法科大学に入学し、1894年(明治27年)に卒業した[2]。卒業後は弁護士事務所を新潟市に開いた[2]。
1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、第6回、第9回、第13回、第14回の計5回当選を果たした(第9回は補欠当選)。
その他、新潟商業会議所特別会員[2]、新潟県弁護士会長、新潟県競馬倶楽部会長を務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 『衆議院要覧(乙)大正九年六月』衆議院事務局、1920年。