中院通頼
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時代 | 鎌倉時代中期 - 後期 |
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生誕 | 仁治3年(1242年) |
死没 | 正和元年8月8日(1312年9月9日) |
別名 | 中院、土御門 |
官位 | 従一位、准大臣 |
主君 | 後嵯峨上皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇 |
氏族 | 村上源氏中院家 |
父母 | 父:中院通成、母:宇都宮頼綱の娘 |
兄弟 |
通頼、通教、禅助、顕子、房子、三条実重正室 養兄弟:大炊御門冬忠室? |
妻 | 姉小路顕朝の娘 |
子 | 通重、通時、鷹司冬平正室 |
中院 通頼(なかのいん みちより)は、鎌倉時代中期の公卿。中院、または土御門と号す。官位は従一位・准大臣。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』の記事に従って記述する。
- 康元2年(1257年)1月6日、従三位に叙される。左中将は元の如し。
- 正嘉2年(1258年)5月14日、正三位に昇叙。
- 正元2年(1260年)3月29日、参議に任ぜられ左中将兼任。また、信濃権守を兼ねる。
- 弘長元年(1261年)3月27日、権中納言に任ぜられ、同年4月14日、帯剣を許される。同年11月4日、左衛門督を兼ねる。
- 弘長2年(1262年)1月5日、従二位に昇叙。同年閏7月23日、検非違使別当を兼ねる。
- 弘長3年(1263年)2月19日、正二位に昇叙。同年8月13日、検非違使別当を辞したか。
- 文永5年(1268年)12月2日、中納言に転じ左衛門督は元の如し。
- 文永6年(1269年)3月27日、権大納言に任じられる。
- 弘安9年(1286年)12月23日、父である前内大臣・中院通成が薨去。同日、喪に服す。
- 弘安10年(1287年)1月13日、息男である通重を参議に任じる代わりに権大納言を止められる。
- 弘安11年(1288年)4月7日、本座を許される。
- 永仁5年(1297年)10月1日、従一位に叙せられ、同年12月16日には大臣に準じて朝参するよう宣下がある(准大臣)。
- 永仁6年(1298年)7月15日、奨学院別当となる。
- 正和元年(1312年)8月8日、薨去。