中野鍼灸院
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針中野中野鍼 | |
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鍼の処 (2020年11月) | |
情報 | |
用途 | 鍼灸院 |
管理運営 | 中野鍼灸院 |
構造形式 | 大和棟 |
建築面積 | 291 m² |
所在地 |
〒546-0011 大阪府大阪市東住吉区針中野3丁目2-17 |
座標 | 北緯34度37分5.8秒 東経135度32分5.3秒 / 北緯34.618278度 東経135.534806度座標: 北緯34度37分5.8秒 東経135度32分5.3秒 / 北緯34.618278度 東経135.534806度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2019年7月19日 |
中野鍼灸院(なかのしんきゅういん)は、大阪府大阪市東住吉区針中野にある鍼灸院。建物が国の登録有形文化財に登録されている。
歴史
[編集]延暦年間 (782年から805年) に設立したとされる。屋号は「中野降天鍼療院(ナカノアマクダルハリヤ)」。平安時代から一子相伝を守り、男児に恵まれなかった場合は女子を当主として現在に至る。口伝によると弘法大師が布教の途上に当家に宿を借り、その礼として当時最も進歩した鍼術・つぼを示す「遂穴偶像」の木像2体と金針を授与された。3代目が旧暦の満月にあたる8月15日に開業したため「月見の鍼」と呼ばれる。南北朝時代、足利軍の戦火により焼失したものの、像2体と漢方薬書は残った。1763年 (宝暦13年) 発行の摂津平野大絵図でも「中野村小児鍼師」の記載が見られる。明治時代、41代目が医師の資格を取得し、西洋医術を取り入れたことから近畿一円から一日500人以上もの人々が殺到し、屋敷内に宿舎が設けられる程だった。1914年 (大正3年) 、南海平野線の開通時には駅から当院まで7か所の辻に道標が設置された。同じく大正時代、41代目が近鉄南大阪線の開業に尽力したため、最寄駅が「針中野駅」となった。現在も駅名は継続され、後に針中野という地名ともなっている。当時では珍しく遠方からも確認できた塔付3階建の屋敷は1975年 (昭和50年) に取り壊された。
文化財
[編集]2019年 (令和元年) 7月19日、7件が国の登録有形文化財となった[1]。
- 鍼の処 - 江戸時代末期建築、明治、2003年 (平成15年) 改修。敷地北西に北面して建ち、大和棟風で正面と背面に下屋を付属
- 旧応接処 - 1902年 (明治35年) 建築。鍼の処に南西に接続し、敷地南西端に建つ元賓客用施設。木造2階建、本瓦葺き、入母屋造の玄関付
- 主屋 – 1910年建築、1938年 (昭和13年) 増築。敷地北辺中央に建つ入母屋造、桟瓦葺き。外壁は漆喰塗で虫籠窓を付す。病院用の新館は屋敷構えの中核
- 文書蔵 - 1902年建築、1996年改修。土蔵造2階建、桟瓦葺き、表門に西面
- 物置蔵 – 1910年建築、1996年改修。土蔵造2階建、金属瓦葺き
- 表門 - 1902年建築。高塀に切妻屋根を有する特異構造、脇戸付。南側道路に面し、旧応接処と文書蔵に挟まれる
- 裏門 – 1938年頃建築。敷地北東隅に建ち、庭園に続く
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旧応接処 (手前)
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表門
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裏門
現地情報
[編集]営業情報
[編集]- 定休日 - 日曜、祝日
- 営業時間 – 9時から13時、15時半から19時
脚注
[編集]- ^ “文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)について”. 文化庁. 2020年11月7日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 中野のはり - 東住吉区