中森明菜「ひとつめのサヨナラ」
中森明菜「ひとつめのサヨナラ」 | |
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ジャンル | トーク番組 |
放送期間 | 1982年10月4日 - 1984年12月28日 |
放送時間 |
月 - 金曜 24:15 - 24:30 (文化放送での放送時間) |
放送局 | 文化放送 |
ネットワーク |
NRN系列 (#放送されていた局の節を参照) |
パーソナリティ | 中森明菜 |
テーマ曲 |
ボブ・ジェームス 『イッツ・オンリー・ミー』 |
ディレクター |
林宣昭(チーフディレクター) ハッピー鈴木 |
提供 | 明星食品 |
中森明菜「ひとつめのサヨナラ」[注釈 1](なかもりあきな ひとつめのサヨナラ)は、1982年10月4日から1984年12月28日まで、文化放送の制作によりNRN系列各局で放送されていたラジオ番組である。
概要
[編集]本番組がスタートしたのと同じ1982年に本格的に芸能界デビューした中森明菜のパーソナリティによる番組。明星食品の一社提供[1][2]。
主にフリートークとはがき紹介と音楽で構成されていた番組。本番組の台本は存在していたが、話す内容は明菜自身が決めていたとのこと。かける曲も明菜自ら選曲していたことが多かった。本番組がスタートしてからわずか3か月間で約4,000〜5,000通のはがきが集まっていたという。主なスタッフは、林宣昭チーフディレクター、当時同じ文化放送の番組『吉田照美のてるてるワイド』も担当していたハッピー鈴木ディレクター[3]。
はがきは普通のお便りの他に、番組タイトルに因んで、リスナーの身の周りに起きた様々な「サヨナラ」体験(「ちょっとしたサヨナラ」「楽しいサヨナラ」から、「痛いサヨナラ」「ドジなサヨナラ」まで)を常時募集していた。1983年8月の時点では、毎週水曜日と木曜日ははがき紹介の日で、他の日は日替わりのテーマについてのことを話すフリートークの日。日替わりで話して欲しいテーマもリスナーから募集していた[4]。はがき採用者には、番組特製トレーナー、または明菜のサイン入りの記念品が贈られていた[4]。毎週金曜日の最後には、ギターの生演奏をバックに明菜が歌うコーナーがあった。
本番組のテーマ曲は、ボブ・ジェームスの曲『イッツ・オンリー・ミー』[5]。
本番組終了から2年3か月後、『中森明菜の太田君がんばって!』で明菜は文化放送番組のレギュラーに復帰している。
放送されていた局
[編集]特記するもの以外は全て月曜日〜金曜日の放送[6]。
- 文化放送 (制作局):24:15 - 24:30
- 北海道放送:22:25 - 22:40
- (1984年10月からの最後3か月間は、夜ワイド番組『夜はこれから』に内包)
- 青森放送:22:35 - 22:50
- 秋田放送:22:30 - 22:45 (1983年10月から)
- 山形放送:23:30 - 23:45 (1983年10月から)
- 東北放送:23:40 - 23:55
- 新潟放送:22:25 - 22:40
- 福井放送:22:30 - 22:45
- 信越放送:22:30 - 22:45
- 東海ラジオ:22:10 - 22:25
- 和歌山放送:22:25 - 22:40 (1983年10月まで)
- ラジオ大阪:22:45 - 23:00 (1983年10月から)
- 山陰放送:22:30 - 22:45 (1983年10月から)
- 中国放送:22:30 - 22:45
- 四国放送:22:30 - 22:45
- 西日本放送:22:30 - 22:45
- 九州朝日放送:1983年10月から夜ワイド番組『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』)内で放送 → 水曜 20:30 - 21:00(1984年10月から、30分の再編集版を放送)
- 長崎放送:22:30 - 22:45
- 熊本放送:22:30 - 22:45
- 宮崎放送:22:30 - 22:45
- 南日本放送:22:30 - 22:45 (1983年10月から)
- ラジオ沖縄:22:30 - 22:45 (1983年10月から)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]文化放送 月曜日 - 金曜日 24:15 - 24:30 枠 (1982年10月 - 1984年12月) |
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(加藤タキ) |
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