中条景資
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文元年(1532年)? |
死没 | 天正元年9月22日(1573年10月17日) |
墓所 |
山形県米沢市相生町の極楽寺 新潟県胎内市東本町の大輪寺 |
官位 | 山城守 |
主君 | 上杉謙信 |
氏族 | 越後中条氏 |
父母 | 中条藤資、高梨政盛娘 |
兄弟 | 景資、資興、資泰 |
妻 | 高梨政頼娘 |
子 |
俊子 堅親、景泰 |
中条 景資(なかじょう かげすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。中条氏20代当主。
生涯
[編集]中条藤資の子として誕生。永禄11年(1568年)、上杉氏家臣筆頭だった父・藤資が死去すると中条氏の家督を相続した。その年、本庄繁長が武田信玄の調略に応じて謀叛を企てると、景資にも誘いの密書が送られたが、密書の封をそのままに謙信に送り届け、征伐軍に加わり本庄城を攻撃した。
その後も謙信に従い上杉氏重臣として越中国や関東に転戦したが、天正元年(1573年)、死去。享年42。景資には男子が無かったため、婿養子・景泰が中条氏を継いだ。