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中条信慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
中条信慶
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永11年(1634年
死没 正徳2年4月27日1712年6月1日
別名 通称:左京
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 樋口家中条氏
父母 父:樋口信孝、母:広橋兼勝
兄弟 樋口信康信慶信久、梅、清雲院、
勘解由小路[1]
正室:柴田康久
信実信秀
娘(内藤信有室)、養子:女子戸田氏豊娘。内藤信有後室)
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中条 信慶(ちゅうじょう のぶよし)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本参議樋口信孝の子。通称は左京。

略歴

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樋口信孝の次男として誕生。生母は広橋兼勝の娘。

明暦3年(1657年)10月3日、4代将軍・徳川家綱に召し出されて、御家人に列し、寄合に所属した。後に旗本となった。徳川家綱の命令により、祖母の姓である中条姓を称した。なお、実兄の樋口信康の息子・康満も中条を称し尾張徳川家に仕え[2]、実弟信久も中条を称した。

姉妹2人は大奥に出仕している。長女・梅は徳川家光に仕えた上級女中であり、その関係で次男・信慶は幕府に召しだされたようである。

万治元年(1658年)3月1日蔵米300俵を賜った。元禄10年(1697年)7月26日蔵米を改めて下野国都賀郡500石を与えられた。元禄14年(1701年)9月18日隠居し、長男・信実に家督を譲った。正徳2年(1712年)4月27日、死去。享年79。

系譜

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先代
樋口信孝
高家中条家初代当主
1657 - 1701
次代
中条信実

脚注

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  1. ^ 尾張藩主徳川光友側室
  2. ^ 妹の勘解由小路が尾張藩主徳川光友の側室であったため