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サーロー節子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村節子から転送)
サーロー せつこ / Setsuko Thurlow

サーロー 節子 / セツコ・サーロー
2017年
生誕 中村 節子[1]
(1932-01-03) 1932年1月3日(92歳)[1]
日本の旗 日本広島県広島市南区[2]
民族 日本人
出身校 広島女学院大学[3]
リンチバーグ大学英語版[1]
トロント大学[3]
活動拠点 カナダ
肩書き 平和運動家[4]
平和大使
宗教 キリスト教[5]プロテスタント[5]
配偶者 カナダ出身の英語教師[1]
子供 息子2人[1]
受賞
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サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow1932年昭和7年〉1月3日 - )は、広島県広島市南区出身[2]カナダトロント市在住[2]被爆者[9]反核運動[10][11]セツコ・サーロー[1][3]日本語表記もある。

経歴

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中村節子として[1]、広島市南区で生まれた。中村家はかつて広島藩士だったが、明治時代になると生活が楽ではなくなったという[12]。祖父・弥太郎は広島県令(知事)千田貞暁に賛同し、難事業だった宇品築港計画に奔走した[12]

父・弁吉はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた[1][12]

広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、後に学徒勤労動員され、大日本帝国陸軍第2総軍司令部[13]暗号解読作業の訓練を受けた[1][3]。正規の暗号解読助手になって最初の日である1945年8月6日広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.8㎞離れた同司令部で被爆、建物の下敷きになったが九死に一生を得た[1][3]。このとき8人の親族や多くの同窓生を失った[10]

広島女学院大学卒業[3]後、1954年米国に留学[10]リンチバーグ大学英語版で1年間社会学を学んだ[1]1955年ワシントンD.C.でカナダ出身の関西学院英語教師結婚[1][3]。夫婦でトロントに移住し、トロント大学社会福祉事業の修士号を取得、ソーシャルワーカーになった[1][3]

当地の友人らとともに、広島・長崎の被爆写真パネルの展示など世論を喚起する活動を始め、後にカナダ・米国・イギリス日本などで、被爆体験を語り核兵器廃絶を訴えてきた[1][10]核兵器禁止条約採択に際して、多くの国の代表が彼女の演説によって心を動かされたと述べており、中には彼女が特別な役割を果たしてきたと発言する者もあった[10]

2017年12月のノーベル平和賞授賞式では、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)事務局長のベアトリス・フィンとともに記念のメダルと賞状を受け取り、受賞講演を行った[2][14][15][16][17]

2019年、トロント大学より名誉博士号を授与される[4]

親族

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姉の息子に、俳優のジョージ・タケイがいる[18]

第100代および第101代内閣総理大臣である岸田文雄は遠縁にあたる[19]

著作

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  • サーロー節子・金崎由美『光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて』(2019年7月23日 / 岩波書店 / ISBN 9784000245371

映画

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「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」(英:the VOW from HIROSHIMA)[20][21][22][23]

外部リンク

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  • 映画「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」 - Instagram

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n “沈黙の閃光/セツコ・サーロー”. 原水爆禁止日本協議会. http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Hbksh/1008_setsuko-WC10.html 2017年12月3日閲覧。 
  2. ^ a b c d “平和賞受賞式でサーローさん演説”. 中国新聞 (中国新聞社). (2017年12月12日). http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=394794&comment_sub_id=0&category_id=112 2017年12月14日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i “セツコ サーロー Setsuko Thurlow”. 現代外国人名録2012 (日外アソシエーツ). https://kotobank.jp/word/%E3%82%BB%E3%83%84%E3%82%B3+%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC-1681805 2017年12月3日閲覧。 
  4. ^ a b 光に向かって這っていけ - 岩波書店. http://www.iwanami.co.jp/book/b458087.html 
  5. ^ a b “広島で被爆後、受洗、渡米… サーロー節子さん来日 〝核廃絶に向け祈りと共に行動を〟 2019年1月21日」”. キリスト新聞 (キリスト新聞社). (2019年1月21日). http://www.kirishin.com/2019/01/21/22283/ 2019年7月30日閲覧。 
  6. ^ From Hiroshima to the Nobel Peace Prize”. The United Church of Canada. 2021年6月19日閲覧。
  7. ^ ヒロシマ発信で功績 谷本清賞 サーローさんに贈呈”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年1月25日閲覧。
  8. ^ The Ahmadiyya Muslim Peace Prize” (英語). An official website of the Ahmadiyya Muslim Community UK. 2021年6月19日閲覧。
  9. ^ hikita: “核廃絶を訴え続けノーベル平和賞を授与された日本人女性のドキュメンタリー映画が公開 - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)”. screenonline.jp (2021年1月22日). 2021年1月30日閲覧。
  10. ^ a b c d e “2017年8月12日放送「明日世界が終わるとしても『核なき世界へ ことばを探す サーロー節子』」”. 日本放送協会. https://web.archive.org/web/20170814174728/https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4231/2396598/index.html 2017年12月3日閲覧。 
  11. ^ サーローさん記録映画公開 核禁止条約発効の22日…(写真=共同)”. 日本経済新聞 電子版 (2021年1月18日). 2021年1月30日閲覧。
  12. ^ a b c 『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <2> 移民”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 2024年10月13日閲覧。
  13. ^ 広島駅北西約500m、現在の広島市東区二葉の里に位置していた。
  14. ^ “授賞式でサーローさんら演説 ICANにノーベル平和賞”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年12月10日). http://www.asahi.com/articles/ASKDB2RW2KDBUHBI003.html 2017年12月14日閲覧。 
  15. ^ “サーローさん「核兵器は絶対悪」…平和賞授賞式”. 読売新聞 (読売新聞社). (2017年12月11日). https://web.archive.org/web/20171210161816/http://www.yomiuri.co.jp/world/20171210-OYT1T50080.html 2017年12月14日閲覧。 
  16. ^ “ノーベル平和賞 授賞式 サーローさん「核兵器は絶対悪」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年12月10日). https://mainichi.jp/articles/20171211/k00/00m/030/081000c 2017年12月14日閲覧。 
  17. ^ サーロー節子さん演説全文 | ヒロシマ平和メディアセンター”. web.archive.org (2020年11月30日). 2021年4月18日閲覧。
  18. ^ 『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年〜)<2> 移民”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2019年8月30日閲覧。
  19. ^ “被爆地初の首相に、遠縁のサーローさん「勇気を出して正しい方向に」”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2021年10月4日). https://www.asahi.com/articles/ASPB45CMRPB4PITB002.html 2021年10月8日閲覧。 
  20. ^ ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに”. 映画「ヒロシマの誓い サーロー節子とともに」公式ホームページ. 2021年1月25日閲覧。
  21. ^ 「ヒロシマへの誓い -サーロー節子とともに」上映会”. シネマキャラバン V.A.G (2020年12月25日). 2021年1月25日閲覧。
  22. ^ サーローさん記録映画公開 核禁止条約発効の22日、広島(写真=共同)”. 日本経済新聞 (2021年1月18日). 2021年1月25日閲覧。
  23. ^ サーローさん半生描いた映画 条約発効日に広島で公開:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年1月25日閲覧。

関連項目

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