中村幻児
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なかむら げんじ 中村 幻児 | |
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生年月日 | 1946年11月21日(78歳) |
出生地 | 日本 |
出身地 | 日本栃木県大田原市 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
中村幻児(なかむら げんじ、1946年11月21日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサーである。栃木県大田原市出身。
経歴
[編集]1968年、慶應義塾大学文学部中退。東京綜合写真専門学校在学中よりフリーの助監督として活動し、1972年「完全なる同性愛」にて監督デビュー。以降多数のピンク映画を手がけ、その作家性と演出力によって高橋伴明、渡辺護らとともに斯界を代表する監督となる。1982年、筒井康隆原作の作品『ウィークエンド・シャッフル』にて一般映画に進出。テレビドラマ・Vシネマなども手がける。1983年には、大阪のENKプロモーションにおいて「巨根伝説 美しき謎」を監督。同作品は、当時は「薔薇族映画」と呼ばれ、日本における本格的なゲイポルノ映画の第一号となった。
1993年、映像クリエイターの育成組織として「映像塾」を創設。白石和彌などを輩出した。現在も自分の作品を創りながら後進の育成を行っている。
製作
[編集]- 「ウィークエンド・シャッフル」(らんだむはうす=幻児プロ=JO、1982年10月23日)
- 「痴漢とスカート」(雄プロ、プロデューサー、1984年5月11日)
- 「(生)テレクラ 握りたがる人妻たち」(雄プロ、プロデューサー、1986年7月26日)
- 「ロマン子クラブ エッチがいっぱい」(雄プロ、プロデューサー、1986年12月20日)
- 「Homosapiens ホモサピエンス noise」、「Homosapiens ホモサピエンス プラディ・マリー」、「Homosapiens ホモサピエンス ホームメイド」(映像塾、1996年3月23日)
- 「Kamome」(映像塾プロジェクト、2000年3月4日)
監督
[編集]- 1972年
- 「完全なる同性愛」(プリマ企画)
- 4月8日 - 「悲しき妖精」(プリマ企画)
- 7月 - 「露出狂」(日本シネマ)
- 8月 - 「欲情家族」(ミリオン)、「痴情の女」(日本シネマ)
- 11月 - 「女子学生性科学入学」(ミリオン)、「恍惚の遊び」(日本シネマ)
- 1973年
- 2月 - 「ポルノ婦人科」(ミリオン)、「夜まで待てない女」(日本シネマ)
- 5月 - 「SEX交換 甘いしずく」(国映シネマ)
- 8月 - 「汚れた花弁」(国映シネマ)
- 11月 - 「色欲の罠」(国映シネマ)
- 1974年
- 6月 - 「セミドキュメント 金髪狩り」(プリマ企画)
- 1975年
- 1月 - 「猛烈ポルノ列島」(ワタナベプロ)
- 5月 - 「セミドキュメント おんな蕩し」(ワタナベプロ)
- 7月 - 「夜ひらく淫ら花」(東映ビデオ)
- 9月 - 「青いスケバン 濡れた制服」(新東宝)
- 10月 - 「性春のうめき」(ミリオンフィルム)
- 12月 - 「トラックSEX野郎 ポルノ深夜便」(新東宝)
- 1976年
- 3月19日 - 「セミドキュメント 暴走SEX集団」(ワタナベプロ)
- 4月 - 「トラックSEX野郎 ポルノ深夜便」(新東宝)
- 1983年
- 8月 - 「巨根伝説 美しき謎」(ENKプロモーション)
他
脚本
[編集]- 1974年6月 - 「セミドキュメント 金髪狩り」(プリマ企画)
- 1976年3月19日 - 「セミドキュメント 暴走SEX集団」(ワタナベプロ)
- 1976年9月25日 - 「セミドキュメント 非行女高生」(ワタナベプロ)
- 1977年3月5日 - 「未亡人下宿 いろ色教えます」(ワタナベプロ)
- 1977年5月 - 「日本残虐女拷問」(新東宝興業)
- 1977年6月4日 - 「セミドキュメント 処女失神」(ワタナベプロ)
- 1977年11月26日 - 「痴女昇天」(ワタナベプロ)
- 1978年2月4日 - 「好色美容師」(ワタナベプロ)
- 1978年4月15日 - 「OL痴女姉妹 上唇下唇」(ワタナベプロ)
- 1982年10月23日 - 「ウィークエンド・シャッフル」(らんだむはうす=幻児プロ=JO)
- 2000年3月4日 - 「Kamome」(脚本・構成、映像塾プロジェクト)
- 2001年1月25日 - 「TERRORS 山川恵里佳 エンゼル・ダスト ANGEL DUST」 (V) (フジテレビ映像企画部)
- 2004年9月18日 - 「ロード88 出会い路、四国へ」(ロード88製作委員会)