コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中御門経隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中御門経隆

中御門 経隆(なかのみかど つねたか、1852年3月19日嘉永5年2月29日[1])- 1930年昭和5年)4月1日[1][2])は、明治から大正期の海軍軍人教育者華族。最終階級は海軍大尉貴族院男爵議員。旧名・寛麿[1][3]

経歴

[編集]

山城国京都侍従中御門経之、堀河富子夫妻の三男として生まれる[1][3][4][5]1880年(明治13年)3月に分家して華族に列せられ[1][3][4]、同年8月、経隆と改名[6]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][3][7]

明治元年1868年)、イギリスに留学して海軍学校で学び、1876年(明治9年)に帰国[1][3][4]1877年(明治10年)海軍中尉に任官[2][3]。以後、海軍兵学校監事、横須賀屯営分隊長、第一回漕丸(館山)分隊長、参謀本部海軍部編纂課第二部主事、佐世保海兵団分隊長、横須賀海兵団分隊長、海兵団分隊長などを歴任[2]1881年(明治14年)海軍大尉に進み、予備役編入後、1896年(明治29年)商船学校助教に就任し、兼大阪分校長、同教授兼大阪分校長を務め、1899年(明治32年)1月31日に辞職した[2][3][5][8]

1899年1月26日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[9][10]1904年(明治37年)7月9日まで一期在任[2]1915年(大正4年)8月26日に隠居した[1][11]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『平成新修旧華族家系大成 下巻』242頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』79頁。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録』第4版、な61頁。
  4. ^ a b c 『新訂増補 海を越えた日本人名事典』505頁。
  5. ^ a b 『日本人名大辞典』1382頁。
  6. ^ 「履入1333 鎮守府届 中御門中尉改名」
  7. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  8. ^ 『官報』第4673号、明治32年2月1日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
  10. ^ 『官報』第4672号、明治32年1月31日。
  11. ^ 『官報』第932号、大正4年9月9日。
  12. ^ 『平成新修旧華族家系大成 下巻』240頁。

参考文献

[編集]


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
中御門家(分家)初代
1884年 - 1915年
次代
中御門経民