中岡黙
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中岡 黙(なかおか もく、1847年6月25日(弘化4年5月13日) - 1925年(大正14年)12月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]岡山藩士・中岡栄左衛門の四男として生まれる。明治5年(1872年)5月、陸軍教導団に入る。1874年(明治7年)10月、少尉試補に任官し、翌月、東京鎮台付となる。1875年(明治8年)1月、陸軍少尉に昇進し東京鎮台幕僚参謀に就任。1876年(明治9年)7月、熊本鎮台幕僚参謀に転じ、同年10月の神風連の乱で戦傷を受けた。1877年(明治10年)2月、西南戦争に出征。同年12月、陸軍卿官房に配属。
1878年(明治11年)12月、中部監軍部幕僚参謀に就任し、陸軍士官学校生徒隊付、参謀本部第2局員、同第1局員、監軍部参謀、同副官を歴任。1889年(明治22年)11月、陸軍少佐に昇進。
1892年(明治25年)11月、監軍部参謀に就任し、歩兵第10連隊大隊長、対馬警備隊司令官を歴任。1894年(明治27年)11月、陸軍中佐に進級。1896年(明治29年)5月、東京防禦総督部副官に転じ、歩兵第44連隊長に移り、1897年(明治30年)10月、陸軍大佐に昇進した。
1898年(明治31年)2月、陸軍省人事課長に就任し、1900年(明治33年)5月、人事局長に移り、同年7月、陸軍少将に進んだ。1905年(明治38年)9月5日、後備役に編入[1]。
1925年12月8日卒去。行年77歳。墓所は青山霊園1-ロ8-28。
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位[2]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位[3]
- 1900年(明治33年)11月10日 - 正五位[4]
- 1905年(明治38年)9月11日 - 従四位[5]
- 勲章等
- 1885年(明治18年)4月7日 - 勲五等双光旭日章[6]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[7]
- 1893年(明治26年)5月26日 - 勲四等瑞宝章[8]
- 1896年(明治29年)2月10日 - 勲三等旭日中綬章[9]
- 1901年(明治34年)12月27日 - 勲二等瑞宝章[10]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日重光章・功三級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章[11]
親族
[編集]伝記
[編集]- 長谷井千代松編『中岡少将小伝』非売品、1927年。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第6659号、明治38年9月8日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
- ^ 『官報』第6662号「叙任及辞令」1905年9月12日。
- ^ 『官報』第534号「賞勲叙任」1885年4月16日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
- ^ 『官報』第3785号「叙任及辞令」1896年2月14日。
- ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。