中山貞武
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中山 貞武 | |
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生誕 |
1894年5月18日 日本 高知県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1917年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
中山 貞武(なかやま さだたけ、1894年(明治27年)5月18日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]
経歴
[編集]1894年(明治27年)に高知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1937年(昭和12年)8月に関東軍参謀(作戦)に就任し[2]、1938年(昭和13年)1月8日に第3軍参謀(作戦主任)を経て[2]、12月10日に第3軍高級参謀に就任した[2]。1939年(昭和14年)3月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1940年(昭和15年)3月に陸軍歩兵学校研究部主事に転じ[2]、1941年(昭和16年)7月に第3軍高級参謀[2]、1942年(昭和17年)5月5日に第20軍高級参謀を歴任した[2]。
同年7月1日に第20軍参謀長(関東軍・第1方面軍)に就任し[1]、1943年(昭和18年)3月に陸軍少将に進級した[2]。1944年(昭和19年)2月に第11軍参謀長(支那派遣軍)に転じ[1]、1945年(昭和20年)4月23日に第6方面軍参謀長に就任し[1]、終戦を迎えた[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。